お笑い芸人・江頭2:50氏のYouTubeチャンネル「エガちゃんねる」で公開されたファミリーマートとのコラボレーション動画が、9月5日に突如として公開停止となった。理由は、コラボ商品の「ケバブ風味ポテトチップス」に豚肉成分が含まれていたにもかかわらず、現地トルコの人々に試食を依頼する映像内でその説明がなされなかったことにある。イスラム教徒にとって豚肉は明確に禁じられており、知らされずに口にすることは宗教上の尊厳を深刻に損なう事態となる。
仮に、YouTube動画の製作側に悪意がなかったとしても、この行為は「知らなかった」「不注意」で片付けられる問題ではない。むしろ、この「無配慮」こそが、異文化間における摩擦や誤解を招き、時に国際的な信頼の失墜や外交上の問題にまで発展しかねない重大な過失である。国際社会において相互理解を欠いた軽率な行為がもたらす波紋は、想像以上に大きい。
日本社会には馴染みのない事だが、イスラム社会では豚肉を避けることが生活の基本規範として徹底されている。これは単なる食習慣ではなく、信仰に根差した不可侵の領域である。日本国内に暮らす私たちが「宗教上の理由でベジタリアンを貫く人」に誤って肉を食べさせてしまうこととは次元が異なる。イスラム教徒にとって豚肉を口にすることは、自らの信仰を裏切らされたに等しい行為であり、その衝撃は深刻である。こういった文化・宗教を軽視した結果がもたらす国際的波紋は簡単なものではない。
話しは逸れるが、「知らずに食べた側」つまり、イスラム教ではハラム(禁忌)のものを知らずに摂取してしまった場合、アッラーは許してくれるという教えもある。無知や気づかずにハラムな食べ物を食べてしまった場合、罪は課せられず、気づいた時点で避け、必要に応じて許しを求めるだけで十分とされている。 しかしながら、これは意図的に摂取した場合とは異なり、悔い改めの必要性が強調される点が違う。 ただし、個々の解釈や宗派による違いも当然あります。そして、「食べさせる行為」とは違うのは言うまでも無い。
話しを戻すが、こうした背景を無視し、「本場の味を現地の人に食べてもらう」という軽い企画性で実行に移したことは、日本が国際社会で築いてきた文化的信用を揺るがすリスクをはらむ。グローバル市場を視野に入れる大企業が、他文化への基本的なリサーチや配慮を欠いたまま商品展開や広告戦略を行ったこと自体が、国際的視点から見れば大きな驚きである。
もしこれが欧米において、ユダヤ教徒に豚肉を含む食品を「伝統料理です」と言って食べさせたケースであれば、ただちに企業とタレントは国際的批判にさらされ、場合によっては訴訟にまで発展していたであろう。今回、日本国内で問題が表面化したことは、ある意味で幸運だったとも言える。しかし「幸運」に甘えるべきではない。今後は同様の問題が即座に海外に伝播し、日本社会全体の評価を傷つける可能性が極めて高いからである。
さて、「知らなかった」という言い訳の危うさについて、日本国内では、「江頭氏本人に悪意はなかった」「知らなかったのだから仕方がない」という擁護論が散見される。しかし、国際社会の常識は異なる。「知らなかった」という弁明は、むしろ自らの怠慢や無責任を認めることに等しい。
国際的なビジネスや文化交流の現場においては、相手の宗教的背景や文化的タブーを理解することは出発点にすぎない。無理解を「仕方がない」と許容してしまえば、それは「相手の価値観を軽視している」と解釈される。こうした小さな配慮不足の積み重ねこそが、国家間の不信や憎悪の温床となり得ることを、歴史は繰り返し示してきた。
今回の件はタレント個人だけの問題ではない。むしろ責任の主体は、共同で商品を開発し販売に至ったファミリーマートにある。大手コンビニエンスストアチェーンが国際的な商品展開を行う際に、食材や成分が宗教的タブーに触れないかどうかをチェックするのは当然の企業責任である。
さらに、広告映像の制作において現地での試食シーンを盛り込むのであれば、なおさら文化的リスクを慎重に精査すべきであった。こうした基本的なリスク管理を怠ったことは、企業倫理上看過できない欠陥である。
企業が国際的な信用を維持するには、単なる「商品開発力」だけでなく「文化的リテラシー」を備えることが求められる。今後、外部コンサルタントや専門家を交え、宗教や文化に関わるリスクを検証する仕組みを設けることは急務である。
今回の事件を「一芸人の失敗」として矮小化することは、日本社会にとって危険である。むしろ浮き彫りになったのは、日本全体の「他文化への配慮意識」の脆弱さである。国内では多数派が共有する常識が国際社会でも通用するとの思い込みが根強く存在する。しかし、世界の現実はそうではない。少数派や異文化を理解し尊重する姿勢こそが、国際的な信頼を築く基盤となる。
「日本は文化的に成熟した国だ」と自負するのであれば、まず他者の価値観を軽視しないことから始めるべきだ。今回の件は、その基礎的姿勢が欠如した結果として露呈した問題であり、今後は教育や企業研修を通じて社会全体で改善を図る必要がある。
江頭氏とファミリーマートによる動画公開停止問題は、単なる芸能ニュースではなく、日本社会が国際社会の一員としてどのように振る舞うべきかを示す試金石である。宗教的禁忌を軽視することは、相手国の尊厳を踏みにじる行為であり、ひいては国際的信頼を損なう重大なリスクを伴う。
「知らなかった」で済ませる社会は、同じ過ちを繰り返す社会である。むしろ、今回の出来事を契機に、企業も個人も「他者を尊重するとは何か」を問い直し、再発を防ぐための制度と意識を整えるべきである。これこそが、国際社会における日本の責任であり、成熟した民主国家にふさわしい姿勢である。
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