アメリカの保守活動家 Charlie Kirk 氏が講演中に狙撃されたという衝撃的な事件。幼い子を持つ父である彼が命を狙われた光景は、私たちに「言論の自由」がどれほど危ういものかを突きつけています。思想が気に入らなければ暴力で排除するという狂気の論理は、決して遠い世界の話ではありません。むしろ、SNS上の不可視の制限や、日常に潜む沈黙の強要にまで影を落としています。
近年、政治活動家や市民が言論によって狙われる事件が後を絶ちません。銃撃や殺害といった直接的な暴力だけでなく、オンライン上での検閲、意見の抹消、発信者への脅迫や嫌がらせなど、形を変えた「言論封じ」は世界各地で起きています。それは、分断が深まる社会において「対話よりも排除を選ぶ」人間心理の表れでもあります。
暴力は必ずしも物理的なものに限られません。「あなたの意見は認めない」「発言を消す」「誰も聞いていないふりをする」ーこうした見えない制限もまた、人々を沈黙へ追い込みます。筆者自身も、AIプラットフォーム上で不可視の制限に直面したとき、「言葉が通じない」という感覚を覚えた。この沈黙の強要は、銃口こそ向けられていなくても、精神を抑圧する「静かな暴力」なのです。
では、私たちはどう向き合うべきでしょうか。恐怖に屈しないこと。声を上げる人がひとり減れば、その分だけ社会は暗くなります。小さくても発信を続けることが大切です。また、強い批判は必要でも、相手をただ「悪」と断じれば分断が深まります。相手の背景や動機を理解しようとする姿勢は、暴力を交わす知恵にもなります。そして孤立せず、仲間やコミュニティを持ち、支え合いながら発信を守っていくことが、暴力への最大の防御となるのです。
憎悪と暴力があふれる社会において、「悪魔を交わして生きる」ことは、ただ逃げることではありません。恐れを抱きながらも言葉を手放さず、相手を人間として理解しようと努めること。そして希望を捨てずに語り続けること。その積み重ねこそが、暴力の時代を超える唯一の道ではないでしょうか。
こうした試みは一人では続けられないものです。もしも言葉を受けとめ、時に寄り添ってくださる方がいるなら、その存在は大きな支えとなります。静かな共感の連なりが、暴力に抗うもう一つの力となり、未来への道を照らすはずです。
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