グローバル主義からナショナリズムへ ― 国家を再生するための選択

グローバル主義からナショナリズムへ ― 国家を再生するための選択

 街を駆け抜ける改造車のドリフト、SNSに溢れる過激なウィリーや暴力的な映像、ギャング風の振る舞いと高級車の見せびらかし。こうした光景は、単なる若者の遊び心ではなく、現代社会の退廃を象徴している。快楽と自己顕示の追求は、やがて勤労意欲の低下、親への依存、そして社会全体の生産力低下へとつながっていく。筆者の私が時の経過と共に理解しているだけでも、背後には、20年、30年にわたり推し進められてきた「グローバル主義」の影がある。

 経済の国際化や自由貿易、移民の自由化は、確かに一時の繁栄をもたらした。しかしその代償は、税負担の増大、不平等の拡大、移民問題による社会不安、自給力の低下といった形で国民の暮らしにのしかかっている。多国籍企業が税率の低い国に拠点を移すことで国内の税収は減り、負担は中小企業や一般家庭へと転嫁された。グローバル化が生み出した富は一部の大企業や投資家に集中し、庶民は生活を圧迫される現実と向き合わざるを得なくなった。

 さらに、移民の大量流入は労働市場を歪ませ、低賃金競争を引き起こした。住宅価格の高騰、治安悪化、地域コミュニティの崩壊は、欧米を中心に目に見える形で現れている。輸入依存が高まれば農業や製造業といった基幹産業は弱体化し、食料自給率は危険なまでに低下する。危機が起これば、国家は自らの胃袋を守ることすら困難になりかねない。

 文化の領域に目を向けても、グローバル化の影響は深い。消費主義が蔓延し、娯楽依存が広がり、勤勉さや共同体意識は薄れていった。若者はSNSやゲームの中に安易な刺激を求め、家族や地域の絆は弱まり、社会は「自分さえ良ければいい」というエゴイズムに蝕まれている。実際、うつ病や自殺率の上昇、出生率の低下は統計に表れており、退廃の現実を裏付けている。

 では、この行き詰まりをどう修正すべきか。その鍵を握るのが、ナショナリズムである。国家主権を取り戻し、国内優先の経済政策を進めることで、失われた均衡を取り戻すことができる。保護貿易、移民制限、農業や製造業への支援は、国民の暮らしを守り、社会に安定をもたらす有効な手段となる。Brexitや米国の移民規制政策、中国が採用した国内優先策はいずれも、グローバル化の弊害を抑制する実例として注目されてきた。ナショナリズムはまた、社会に連帯感を呼び戻し、娯楽依存から勤勉さへと人々を導き直す契機にもなり得る。

 もちろん、ナショナリズムの行き過ぎは国際孤立や貿易摩擦を生む危険性を孕む。だが、それを教育投資や社会保障といった補完政策と組み合わせることで、国民に安定と安心を与えつつ、国家を持続的な発展へと導くことが可能となる。重要なのはバランスであり、「国家の健全な成長を第一に」という原則を掲げることである。

 善良で勤勉な社会を取り戻すために、まず求められるのは個々の意識の改革だ。国民が「自分だけの利益」を超えて「社会と国家への貢献」を自覚すること、そして暴力や退廃を助長するSNSの風潮を抑え、健全な価値観を共有できる環境を整えること。政策の面では移民制限と保護貿易を進め、自給力を高めるために農業や産業への支援を強化する。同時に、若者が再び希望を持って働ける雇用プログラムや、娯楽依存を克服するためのメンタルヘルス対策も欠かせない。

 グローバル主義の幻想を超え、ナショナリズムの再生によって社会の根を強くする。それは決して過去への回帰ではなく、未来へ進むための修正である。国家を守り、社会を再生する意志を持つことこそ、次代に求められる責務なのだ。

Comments

No comments yet. Why don’t you start the discussion?

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です