最近、筆者が注目していた裁判で高裁判決が下された。ジャーナリストの石川陽一氏と、氏の元所属先である共同通信との争いである。氏の著書は『いじめの聖域――キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録』というものであり、長崎市の私立海星高校で起きた生徒のいじめ自死問題を題材にしたノンフィクションである。
同書は、第54回大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補作となった。さらに、石川氏の著者紹介では、『いじめの聖域』が日本ジャーナリスト協会賞など3賞を受賞したと紹介されている。石川氏は、同書の土台となった「海星高いじめ自殺問題を巡る一連の報道」でも、新聞労連ジャーナリズム大賞・疋田桂一郎賞を受けている。
前置きが長くなったが、つまり、この裁判で問題にされたのは、私的な発信でも、無名の感情的な批判でもない。いじめ自死事件をめぐる学校、県、第三者委員会、遺族、そして地元報道のあり方を追い、外部から一定の評価を受けた、ジャーナリストによる取材と著作である。
今回、石川氏ご本人にお願いして、地裁判決文と高裁判決文を送っていただいてわかったが、ここで筆者が強く感じたのは、裁判所が何を見たか以上に、何を見なかったかである。判決は「黙殺」という言葉と確認取材の有無に強い光を当てた。しかし、その光が強くなればなるほど、背後にある共同通信と長崎新聞社の加盟社関係、受賞作を書いた記者への組織的な処遇、報道機関が報道機関を批評する自由という大きな構造は、むしろ暗がりに押し込まれていく。筆者には、そのように見えた。
なぜ裁判は起きたのか
発端は、同氏の著書『いじめの聖域』の中で、石川氏が長崎の地元メディア、とりわけ在長崎紙の報道姿勢を批判したことだった。石川氏の説明によれば、同氏は2020年11月、共同通信を通じて、学校による「突然死」への偽装提案を県が追認したという内容のスクープ記事を配信した。
しかし、その配信を受けたり、ネットニュースで知ったりした在長崎紙は、翌日の朝刊に記事を掲載しなかった。『いじめの聖域』では、この「どこも載せなかった」という経緯を「黙殺」と表現したという。つまり、問題になった「黙殺」は、単に「積極的に報じなかった」という印象批評ではなく、共同通信配信記事が在長崎紙の朝刊に載らなかったという具体的経緯を背景にした表現だった。
これに対し、長崎新聞社が共同通信に抗議した。ここから、問題は単なる「著者」と「批判された新聞社」の関係にとどまらなくなる。石川氏は当時、共同通信の記者であり、長崎新聞社は共同通信の加盟社だったからである。
弁護士ドットコムによれば、共同通信は2023年1月、石川氏に対して社外活動、つまり外部執筆の了解取消しを通知した。さらに、著書を修正しなければ重版を認めないこと、今回の経緯をメディアで公表した場合には懲戒の対象になることなどを伝えたという。その後、共同通信は石川氏に記者ではない仕事への異動を命じた。後に、石川氏は2023年7月、表現の自由を侵害されたなどとして、共同通信に550万円の損害賠償を求めて提訴した。
思うに、ここで裁判の形が決まった。表面上の争点は、石川氏が長崎新聞社を批判する際、長崎新聞社に確認取材をすべきだったのか、という問題である。しかし、その背後には別の問題があった。共同通信は、加盟社である長崎新聞社から抗議を受けたあと、自社の記者が書いた受賞・評価済みの著作に対し、社外活動の了解取消し、重版制限、経緯公表への懲戒示唆、記者職からの異動という強い措置を取った。
これは、裁判所がいうような「確認取材を怠った記者への処分」だったのか?それとも、報道機関が、加盟社を批判した自社記者の言論を抑えた問題だったのか。
『いじめの聖域』が問うていたもの
筆者も取り寄せて読み始めたが、『いじめの聖域』は、新聞批判を目的にした本ではない。題材となったのは、長崎市の私立高校で起きた生徒の自死、学校側の対応、県の姿勢、第三者委員会、遺族の訴え、そしてそれらをめぐる報道のあり方である。
この本が評価された理由も、おそらくそこにある。一人の生徒の死をめぐって、学校、行政、報道がどのように動き、あるいは動かなかったのか。その構造を追った記録だったからだ。だからこそ、長崎新聞社や地元メディアへの批判も、本来はこの大きな文脈の中で読まれる必要がある。
地元紙が何を報じ、何を報じなかったのか。県側の説明と遺族側の訴えは、どのような比重で扱われたのか。共同通信の配信記事は、長崎新聞誌面でどう扱われたのか。地域社会の中で、報道機関は何を可視化し、何を不可視化したのか。
『いじめの聖域』が問うていたのは、こうした問題だったはずである。しかし裁判では、その構造全体よりも、「黙殺」という表現について、長崎新聞社側への確認取材がなかったと裁判所が見たことが中心化された。
裁判で中心化された「黙殺」
判決文を読ませて頂いたが、地裁判決は、『いじめの聖域』の第11章にある長崎新聞社・地元メディアへの批判的記載を問題にした。判決は、地元メディアが本件を「黙殺」した、長崎新聞が県に「追随」したように読める、あるいは長崎新聞社が報道上の圧力に加担したかのように読める記載を取り上げた。地裁判決の実質判断は20頁の判決文にまとめられている。
問題は、裁判所がこれらの表現をどう読んだかである。――石川氏側から見れば、「黙殺」「追随」「加担」は、報道状況を踏まえた論評・評価語だったと位置づけられる。すなわち、どの記事を掲載し、どの記事を掲載しなかったのか。どの説明を大きく扱い、どの訴えを小さく扱ったのか。そうした観察可能な報道状況から、地元メディアの姿勢を批評したものだという理解である。
筆者には、この「黙殺」という言葉が、裁判の中で一種のスケープゴートにされたようにも見える。もちろん、言葉は大切である。批判対象に確認を取ることも大切である。しかし、「黙殺」という一語の確認プロセスに焦点を絞ることで、本来見られるべきだった報道機関内部の力関係、加盟社から抗議を受けた共同通信の反応、そして受賞作を書いた記者がなぜ記者職を外されたのかという問題が、後景に退いてしまった。
つまり裁判所は、「黙殺」という表現の強さを問題にすることで、石川氏の著作が突きつけていた構造的な問いを、確認取材義務という狭い枠へ回収したのである。表現の一語が問題化される一方で、その一語が指し示していた可能性のある沈黙の構造そのものは、十分に検証されなかった。
さらに重要なのは、石川氏側が、この「黙殺」を単なる印象批評ではなく、共同通信配信記事が在長崎紙の朝刊に掲載されなかったという具体的経緯に基づく表現だと説明している点である。もしそうであるなら、本来検討されるべきだったのは、「黙殺」という語感の強さだけではなく、配信記事がどの紙に掲載され、どの紙に掲載されなかったのか、その報道上の事実関係だったはずである。
しかし、判決はそこを別の方向に組み替えた。石川氏は共同通信の記者であり、長崎新聞社は共同通信の加盟社である。したがって、長崎新聞社を批判するなら、長崎新聞社側に対して、掲載・不掲載の理由、編集判断、意図、背景事情を確認取材すべきだった、という枠組みである。
「記者だから批評できる」から「記者だから規律に従え」へ
この裁判の大きな転換点はここにある。石川氏側の本来の強みは、現役記者として事件を取材し、公共性の高い問題について報道機関の姿勢を批評した点にあったはずである。ところが判決は、その「記者であること」を、批評の公共性ではなく、会社規律上の義務を重くする事情として使っている。
地裁判決は、石川氏が社外活動として著書を執筆するにあたり、共同通信の記者として記事を書く場合と同様の規律が妥当すると見た。そのうえで、批判的記事を執筆する際には対象者への確認取材が記者としての基本的な姿勢であるとし、共同通信が加盟社にニュースを配信し、加盟社が運営費を負担しているという特性も踏まえ、加盟社の編集方針を批判する場合には慎重な確認取材が求められるとした。
ここで、石川氏の立場は反転する。――本来なら、「記者として取材したからこそ、報道機関を批評する資格がある」と言える。しかし判決の中では、「記者として書いたのだから、社内規律上、より慎重でなければならない」と扱われた。
この反転によって、裁判の軸は、公共的な報道機関批評から、社内規律と確認取材義務の問題へと移された。
加盟社関係は、誰に有利な事情なのか
もう一つ重要なのは、共同通信と長崎新聞社の関係である。共同通信と長崎新聞社の加盟社関係は、本来、二つの方向に読める。一つは、判決が採った読み方である。共同通信は加盟社にニュースを配信する立場にあり、加盟社との信頼関係や中立性を維持する必要がある。だから、所属記者が加盟社の編集方針を批判する場合には、より慎重な確認取材が必要だった、という読み方である。
しかし、もう一つの読み方もある。石川氏側は、加盟社を単なる取引先や「近いメディア」とは見ていない。共同通信の運営費を負担する存在、すなわち株式会社でいえば株主・オーナー企業に当たる存在として位置づけている。そうであるなら、長崎新聞社との関係は、石川氏に重い義務を課す事情ではなく、共同通信が加盟社批判を嫌い、自社記者の出版活動を抑えたのではないかという利益相反の事情としても読める。
ここで重要なのは、同じ加盟社関係が、まったく逆方向に働き得るという点である。判決はそれを、共同通信の信用維持や記者規律を支える事情として使った。しかし石川氏側から見れば、それは共同通信が長崎新聞社側に配慮した可能性を示す事情である。
報道機関の自由を考えるなら、本来検討されるべきだったのは後者ではなかったか。報道機関が、自社の取引関係、加盟社関係、配信関係を理由に、所属記者の社外出版を制限できるなら、記者は自分の所属組織やその周辺にある権力構造を批評しにくくなる。これは単なる労務問題ではない。報道機関内部における批評の自由の問題である。
高裁判決は、見えなかった争点を広げなかった
さて、今回下されたのは、東京高裁の控訴審判決である。引き続き読んでみると、東京高裁判決は、地裁判決よりもはるかに短い。高裁判決は全4頁で、結論は控訴棄却である。実質的には地裁判決を維持し、一部を補正する形を取っている。
この短さは、単なる分量の問題ではない。筆者には、ジャーナリズムの根幹に触れるはずの問題が、わずか4頁で閉じられたように見える。共同通信と長崎新聞社の関係が利益相反として作用した可能性、報道機関が加盟社批判をした記者の出版活動を制限した可能性、そして報道機関内部で批評の自由がどこまで守られるのかという問いに対して、高裁は踏み込まなかった。むしろ、地裁の枠組みをほぼそのまま引き受けることで、問題を広げる扉を閉じた。
この高裁の判断は、石川氏が長崎新聞社に対して確認すべきだった事項を、より具体的に示した。すなわち、石川氏の記事が長崎新聞に掲載されなかったこと、長崎新聞の記事が掲載されたこと、長崎新聞社の記者の発言があったこと、それらに対する長崎新聞社としての受け止め、理由、意図、背景事情について確認取材すべきだった、という方向である。
つまり高裁は、共同通信と長崎新聞社の関係が利益相反として働いた可能性や、記者の社外出版を会社がどこまで制限できるかという問題を広げなかった。高裁は、「批判対象への確認取材を怠った」という地裁の枠を基本的に維持した。
この点で、高裁判決は、石川氏側の問題提起を正面から受け止めたというより、筆者としては地裁の構成を追認したものに見える。言い換えれば、高裁は「確認取材をしたか」という小さな入口から入り、その入口の中だけで判断を終えた。しかし、この裁判の背後には、報道機関が自らに近い報道機関への批判をどう扱うのかという、もっと大きな部屋があったはずである。高裁判決は、その部屋の扉を開けなかった。筆者には、そこにこの判決の薄さがあるように思える。
なお、石川氏側は高裁に提出した控訴理由書で、まさにこの点を争っていた。すなわち、『いじめの聖域』は共同通信の配信記事ではなく石川氏個人のノンフィクション作品であり、新聞記事と同じ規律をそのまま当てはめるべきではないこと、また、裁判所のいう「確認取材」は事実確認ではなく、相手方の理由や意見を聞くものになっていることを主張していた。
しかし、この控訴理由書は高裁で時機に後れたものとして却下され、実質的な審理対象にはならなかった。そうであるなら、高裁判決の薄さは、単に頁数の問題ではない。石川氏側が本来争いたかった「確認取材」概念そのものへの反論が、判決の中心で十分に扱われなかったという意味でも、問題を残している。
『記者迫害』が示す後半戦
続いて、石川陽一氏の次の作品である『記者迫害――崩れゆくジャーナリズムの現場から』は、『いじめの聖域』刊行後に石川氏の身に起きたことを記録する本である。花伝社の著者紹介は、『いじめの聖域』について、大宅壮一ノンフィクション賞最終候補作となり、日本ジャーナリスト協会賞など3賞を受けたと説明したうえで、同書で長崎の地元メディアを批判したことを契機に、石川氏が記者職から外されたと紹介している。
Tansaも、石川氏が『いじめの聖域』で第54回大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補に選ばれ、日本ジャーナリスト協会賞・大賞など3つの賞を受賞していたこと、共同通信の労働組合も受賞を讃えていたことを報じている。さらに、共同通信が石川氏について平均以上の人事評価をしていたことにも触れている。
この流れで見ると、『記者迫害』が問うているのは、著書の一部表現だけではない。受賞作を書いた記者が、なぜ記者職を外されたのか。報道機関は、自らに近いメディアを批判した記者をどう扱ったのか。その処遇は、報道の自由を守るためのものだったのか、それとも批判を抑えるためのものだったのか。
『記者迫害』は、その後半戦を記録する本である。一冊目の『いじめの聖域』は、いじめ自死事件をめぐる学校、行政、報道の沈黙を問うた。二冊目の『記者迫害』は、その沈黙を問うた記者が、今度は報道機関内部で何を経験したのかを問うた。この二冊は、別々の本ではなく、つながっている。
ここで終わるのか?筆者が考える最高裁で問われるべきこと
前述のTansaは、高裁判決後、この「報道の自由裁判」が最高裁へ向かうと報じている。Tansaの記事では、本件を「報道機関に属するジャーナリストの表現の自由が、どこまで認められるかを問う裁判」と位置づけている。仮に最高裁で本件が争われるなら、争点は「黙殺」という語が強すぎたかどうかだけでは足りない。
問われるべきは、報道機関に所属する記者が、公共的事件について社外で出版し、その中で他の報道機関の報道姿勢を批評した場合、雇用主である通信社がどこまでその出版活動を制限できるのか、という点である。
特に重要なのは、加盟社関係の評価である。共同通信と長崎新聞社の関係は、石川氏により重い確認取材義務を課す事情なのか。それとも、共同通信が加盟社批判を抑えた可能性を示す利益相反の事情なのか。
地裁・高裁判決は、前者の方向で処理した。しかし、報道機関批評の自由という観点からは、後者も正面から検討されるべきだった。また、「黙殺」「追随」「加担」といった言葉が、観察可能な報道状況に基づく論評として使われている場合にまで、批判対象の理由、意図、背景事情を確認しなければならないとするなら、報道機関批評一般に強い萎縮効果を及ぼす可能性がある。
報道機関は、政治権力や行政を監視するだけではない。報道機関自身もまた、社会的影響力を持つ存在として批評の対象でなければならない。その批評が所属組織や加盟社関係に触れた途端、社内規律の問題として処理されるなら、報道機関の内部にある権力関係は見えにくくなる。
「確認取材」の名で、何が見えなくなったのか
もちろん、事実関係に争いがある場合、確認取材が重要であることは言うまでもない。しかし本件で問題なのは、裁判所が「確認取材」と呼んだものの中身である。石川氏側は、判決が求めたのは事実の確認ではなく、長崎新聞社側の理由、意図、背景事情、評価を聞くことであり、それは通常の意味での確認取材とは異なる、と反論している。
つまり本件では、「確認取材をしたかどうか」だけでなく、そもそも裁判所がいう「確認取材」は本当に確認取材だったのか、という問題がある。むしろ、「確認取材」という正しい言葉が、構造を見えなくするための便利な言葉として機能してしまった可能性がある。
確認取材は必要である。だが、その必要性を認めることと、共同通信による社外活動了解取消し、重版制限、経緯公表への懲戒示唆、記者職からの異動までを一体として正当化することは、別の問題である。前者を認めた瞬間に後者まで当然のように通ってしまうなら、「確認取材」は、批判封じの構造を覆い隠す言葉にもなり得る。
問題は、確認取材が必要だったかどうかだけではない。裁判所が「確認取材」と呼ぶ行為をしなかったことを理由に、共同通信が社外活動の了解を取り消し、重版を制限し、経緯公表に懲戒の可能性を示し、記者職から外すことまで正当化されるのか、という問題である。
また、長崎新聞社が共同通信の加盟社であったことは、石川氏により重い義務を課す事情としてだけ使われてよいのか。むしろ、その加盟社関係こそ、共同通信側の判断に利益相反がなかったかを検討するための事情ではなかったのか。ここが、地裁・高裁判決で十分に見えなかった争点である。
これは一人の記者の問題ではない
石川陽一氏の裁判は、個人の職場トラブルとして読むこともできる。だが、それだけでは足りない。『いじめの聖域』は、いじめ自死をめぐる学校、県、報道の対応を記録した。『記者迫害』は、その本を書いた記者が、今度は自分の所属していた報道機関の中で何を経験したのかを記録した。
一冊目は、子どもの死をめぐる沈黙を問う本だった。
二冊目は、その沈黙を問うた記者が、報道機関内部で何をされたのかを問う本だった。
そして裁判は、その二つをつなぐ場所にある。本来見られるべきだったのは、石川氏の一つの表現だけではない。いじめ自死事件をめぐる報道のあり方、長崎新聞社と共同通信の関係、加盟社批判をした記者への処遇、そして報道機関内部で批評がどこまで許されるのかという構造である。
「黙殺」の一語で終わらせてよいのか
この裁判を、「長崎新聞社への確認取材を欠いたと裁判所が見た記者が敗訴した」とだけ読むなら、問題は狭く見える。しかし、本の内容に戻れば、見えてくるものは違う。『いじめの聖域』が問うたのは、子どもの死を前にした大人たちの責任だった。『記者迫害』が問うたのは、報道機関が自らに向けられた批判をどう扱うのかだった。
最高裁で争われるべき問題があるとすれば、それは「黙殺」という一語の表現技法ではない。公共的事件を取材した記者が、報道機関の報道姿勢を批評したとき、雇用主である報道機関は、その批評を社内規律によってどこまで「制限できるのか」。共同通信と長崎新聞社の加盟社関係は、記者への確認取材義務を重くする事情なのか、それとも批判封じの構造を疑わせる事情なのか。
この見えなかった争点を、もう一度、裁判の中心に戻す必要がある。
小西寛子
