「多文化共生」が危険なスローガンになるとき
「多文化共生」や「男女共同参画」といったスローガンは、一見すると理想的で耳ざわりが良いです。しかし、それが何のために掲げられ、誰が掲げているのか、私たちは本当に理解しているだろうかと思います。
現代のSNSでは「弱いものが消されていく」現象が起きている。グローバル企業、政治、宗教組織による影響力、あるいはエンタメ性に加え、私がかつて裁判で明らかにしたような、多数派Botやアルバイト工作員による“裏のイメージ戦略”を持つものだけが可視化されていく。結果、多様性は逆に淘汰されてしまうんです。
こうして、理念としての美しさがスローガン化され、裏では利権やビジネスが進行している構造を見過ごしてはならない。とくに、日本人が本来大切にしてきた「調和」や「静けさ」が、外圧によって歪められている状況は看過できません。
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日本の静かな歴史と、見えない分断
日本は、もともと調和を尊ぶ穏やかな国だった。しかし、時代とともに外的要因や政治的策略によって、「分断」が意図的に作り出されてきた。例えば、似非人権団体に代表されるように、特定の立場や出自が政治利用されてきた過去がある。私は、排除や差別を煽ることを目的としているのではない。むしろ、そのような「政治的な道具化」に疑問を持っている。だからこそ、スローガンの背後にある意図を見抜くことが、これからの日本人には求められていることを理解して欲しいものです。
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スローガンが人を操るとき「目的なき正義に注意」
「なぜ、男女共同参画を声高に叫ばなければならないのか?」この問いを、私はXに投稿した。平等を求めること自体は正義かもしれない。だが、それがスローガンとなった時点で、そこには誰かの「目的」がある。スローガンの背後には、資金、票、影響力、そしてメディア支配などが潜んでいることが多い。だからこそ私たちは、それを「正義」だと無条件に信じるのではなく、「それは誰のための正義か?」と問い直す知性を持たなければならないですね。
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エンタメ化された社会と、知性の行方
現代社会は、「わかりやすさ」「派手さ」が優先される時代となりました。SNSにおいても、静かに真実を語る声よりも、刺激的で感情的な投稿が拡散されやすい。まるで「多文化共生」の名の下に、「同一化」が進行しているようでもあります。このような淘汰構造が続けば、やがて私たちは「考える力」そのものを失ってしまう。
馬鹿になったらおしまいだ──Xに残した私のこの言葉は一見シンプルだが、とても深い警鐘です。
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世界の見本となる「未来日本人」づくり
では、どうすれば良いのか。私が目指すのは、利権やスローガンに振り回されず、知性と感性をもって共創できる「未来日本人」の育成です。そのために、私たちが取り組むべき課題は以下の通り。
1,主権の再確認:私たちの国は、私たちの手で守るという当たり前の意識を取り戻す。
2,知性の共有:教育や文化を通じて、感情に流されず思考で動く市民を育てる。
3,共創の価値:競争ではなく、協力によって成り立つ社会のビジョンを示す。
4,伝統と自立:和の精神や相互扶助を基盤に、外圧に左右されない外交と貿易を行う自立国家を目指す。
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芸能の場からも、独立の知性を
私は芸能の世界に身を置いているが、その中で常に中立を保ち、左右の利権や思想に寄らない姿勢を貫いてきた。だからこそ、私の投稿がリポストされにくいのも理解しています。しかし、それでも私は信じています。彼らは「着々と準備してるんだよ」と。音楽やアートは、言葉を超えて心を動かす力を持つ。だからこそ私は、知性ある仲間たちと共に、歌を通じて伝え続けていきたいです。でも「推し」という新たなSNSスローガンで本来の芸術も届かないのが現状です。
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行きすぎた言論管理と見えなくされる声「なぜ本質を語るといけないのか」
私は、かつて声優やシンガーソングライターとして一定の注目や影響力を持っていました。ですが、社会的に本質的な問題、とくに利権や組織の構造、言論の不均衡といった話題に踏み込むようになってから、明らかに「エンゲージメントが下がる」「検索で出てこなくなる」など、可視性の低下を経験してきた。これは裁判を経た中などからの実際の経験上の話しで偶然ではないのでお話しておきます。
現代のSNSや検索エンジンは、AIアルゴリズムや“透明性なきガイドライン”によって、発信者の可視性をコントロールすることができるのはもう色々な記事などで明らかですが、たとえば、Googleは検索アルゴリズムの中で、「信頼できる情報源」や「権威のあるドメイン」を優遇するが、その定義は実質的に大手メディアや一部の政治的権構造に依存しているのも事実です。体制がそうであればそういった施策はある程度はやむを得ないが、世界的な人権と自由を考えた場合そうではないと思います。
「多数派に見えるもの」が実は多数ではなく、「正義に見えるもの」が本当の正義ではない場合。この問題を私は、経験を通じて痛感している。だからこそ、私のような立場の者が「言葉を失っていく構造」そのものを、あえて見える形にして伝えていきたい。本質を見抜く力を持った人々が、無名であっても、表には出てこなくても、静かに社会を支えている。そうした人たちの存在こそ、未来日本人の基盤となるべき知性だと、私は信じている。
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静かなる革命の先に
「多文化共生」や「共同参画」という言葉が不要になる日こそが、私たちが本当に目指すべき理想の姿です。それは、誰もが当たり前に調和を重んじ、自立し、他者を思いやる社会が実現している証だからですね。
日本は、争いよりも調和、競争よりも共創を美徳とする国。島国としての知恵と、歴史に根ざした穏やかさを持つこの国こそ、いまこそ「人類普遍の理想」に最も近いモデルとなり得る。私はそう信じています。
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●「戦後80年の日本の日本の夏を歌う」8月1日発売、小西寛子「遥カノ島」