「太陽を失う湿原」釧路メガソーラー計画に潜む環境破壊と国益の喪失

「太陽を失う湿原」釧路メガソーラー計画に潜む環境破壊と国益の喪失

 釧路湿原に持ち込まれたメガソーラー建設計画が議論を呼んでいる。反対の声は著名人の連帯や保護団体を中心に高まり、「希少生物を守れ」「生物多様性を壊すな」と訴えられている。しかし、それは事業者にとって容易にかわすことのできる批判に過ぎない。環境アセスメントや移植といった形だけの対策を掲げれば、動植物の涙は「配慮済み」とされ、工事は粛々と進んでしまうだろう。問うべきはもっと根源的で、国家にとっての合理性そのものなのである。

 釧路湿原はラムサール条約に登録された国際的保護地であり、国立公園として法制度の下で守られてきた場所だ。自然公園法が存在するのは単に希少な動植物のためではなく、「湿原そのもの」を次世代に残すためである。にもかかわらず、国策としての再生可能エネルギー推進を理由に人工構造物を持ち込むことは、制度の形骸化を意味する。これは一地方の環境問題にとどまらず、日本の国際的信用を損なう行為に等しい。

 さらに湿原は古来より「自然のダム」として洪水を緩和し、下流の町を守ってきた。そこに大規模造成を施せば、水の流れは乱れ、災害リスクが高まることは避けられない。地域住民の生活を守るべき国が、再エネの名の下に自ら治水機能を壊すというのは、安全保障の観点からも重大な矛盾である。

 経済合理性の観点でも、この計画は成立していない。釧路は日照条件に恵まれている地域ではなく、大量のパネルを並べても発電効率は低い。結局は再エネ賦課金を通じて国民が負担し、採算性のない事業を無理やり支える構造になる。国民の家計にのしかかる費用が、湿原破壊という取り返しのつかない代償と引き換えに使われるのだ。

 政策の整合性も致命的である。政府は「カーボンニュートラル」を掲げ、温室効果ガスの削減に力を注ぐと言うが、湿原は本来、巨大な炭素吸収源だ。自然の吸収源を破壊しながら「再エネ推進」と唱えることは、国策を自己矛盾に陥れる危うい行為にほかならない。

 この問題を「かわいい動物を守ろう」という情緒的な話に矮小化してはならない。釧路湿原メガソーラーは、法制度を踏みにじり、国民の安全と経済を損ない、国家戦略の根幹を揺るがす深刻な問題である。湿原を守ることは感傷的な自然保護ではなく、むしろ国の合理性と信頼を守るための責任ある行為である。日本が未来に誇るべき価値を見失わぬためにも、この矛盾を直視しなければならない。