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近年、国連女性差別撤廃委員会による日本への勧告が話題になっています。日本の「ジェンダー平等の遅れ」を厳しく指摘し法改正を求めるものですが、筆者はたまたま47NEWSというネット記事の「近代国家として驚くべき事」。周回遅れのジェンダー平等、日本に突きつけられた厳しい勧告」という記事が目に入り、興味もあり内容を熟読したところ、この勧告を取り巻く背景や内容そのものについて浮かんだ疑問があり、それらを検討して見ました。
まずそれは、「この勧告は、本当に“多様性”を尊重しているのか?」ということです。欧州発の価値観を前提にした一律の基準が、日本の社会や文化にそのまま適用されるべきなのか、慎重に考える必要があるのではないでしょうか。
欧米の価値観が「普遍的」とされることの危うさ
一つ目は、国際機関が推進するジェンダー平等は、主に欧州やアメリカの価値観に基づいています。その中心には、「女性の自己決定権の最大化」があります。しかし、これはすべての国や文化に適用できる価値観でしょうか。
筆者は日本人の女性ですが、日本には日本独自の家族観や社会観、道徳観があり、これを無視した改革を求められることは、ともすれば文化的な侵略に近いものになりかねません。宗教や伝統の価値観を持つ国々(例:イスラム圏、アジア諸国)でも、欧米のジェンダー観が馴染まないケースは多くあることは事実です。
そうすると、まず問題点として「多様性の尊重」と言いながら欧米の価値観を唯一の基準としていることはないか?・・・そして、「個人の自由」ばかりを強調して社会全体のバランスを考慮していないのではないか?・・
又、各国の宗教や文化、家族制度を無視して一方的に「遅れている」と断じる態度に見える事はないか?・・・など、大きくわけて3つのの問題が見えてきました。
日本の法制度と国連の「一律的な勧告」のギャップ!?
国連の勧告では日本の中絶に関する法律(母体保護法)について、「配偶者同意要件の撤廃」「完全な非犯罪化」を求めています。
しかしながら、日本の法制度は単なる個人の価値観ではなく家族・社会全体の関係性の中で成り立っています。「夫の同意が必要」という制度には、日本における家族制度や父親の責任を考慮する意図もあります。一概に「時代遅れ」と切り捨ててしまうのは、果たして適切でしょうか。
まず問題点として、「中絶の自由」が絶対視され社会全体の価値観や倫理観が無視されている可能性は無いのか?とか、欧米では可能だからといい日本にもそのまま導入すべきとは限らないものもあります。これは、その地域性や文化的背景など、尊重されるべきものを考慮されているか?などの問題。
・・・そして、古くからの日本の家族制度や社会的影響を考慮しないまま個人の選択だけを重視する姿勢はバランスを欠かないか?などそれぞれ比較考量されているかということに尽きるでしょう。
ジェンダー平等の推進に“暴力”が伴う危険性
国連や欧州のリベラル勢力が推進するジェンダー運動は、時に「言うことを聞かないと暴力を振るう」形に発展することがあります。わたしは住民として欧州にも住んでいましたが、近年の「嫌だと言う人のことは考えず、わからなければ一方的な行動を取る。」つまり、暴力に結びついている事も明らかだと思います。
例えば、アメリカの「Black Lives Matter(BLM)」運動では、「差別撤廃」の名のもとに暴力的な抗議活動が発生しました。フランスでも「ジェンダー平等」の名のもとにデモが過激化し社会不安が増した例があります。
「異なる価値観を持つ国があってもいい」という発想が欠落し、反対意見を認めない過激運動になるリスクがあるのです。
それらのように、「平等」の名のもとに、過激な抗議運動や社会不安が誘発されるリスク。 「異文化」つまり、異なる価値観を持つ国に対して「暴力的な圧力」が加えられることがある。 「正義」を振りかざす側が一方的に「悪」と断じる。
など、対話の余地をなくしてしまう危険性はきわめて大きいでしょう。
日本独自の対応が求められる
日本が取り組むべきは、「国連の勧告をそのまま受け入れること」ではなく、日本の社会に適した形でバランスの取れた変化を進めることです。
国や政府には、国連の勧告を鵜呑みにせず国内での合意形成を優先する。そして、欧米的な基準をそのまま導入するのではなく、日本独自の社会や文化に適した形で改革を進める。その他にも「ジェンダー平等=欧米基準」ではなく、本当の意味での「多様性」と「相互尊重」を考慮する教育や指針。
更には、広く国民から意見を聞き、国内での議論や対話を重視して急激な改革による社会の分断を防ぐ事に力を入れるべきだと思うのは筆者だけでしょうか?
「近代国家」の在り方とは何か?
わたしたちは、国連や欧米が求める「ジェンダー平等」は、一見すると理想的なもののように見えます。しかし、それが「一律に適用されるべきか」「本当に多様性を尊重しているのか」という視点を持つことが重要です。
本来、多様性とは、本来「異なる価値観を認めること」です。しかし、欧米の価値観のみが“正義”とされ、日本の文化や価値観が否定されるような状況は、むしろ多様性の否定につながっていると思います。
日本は「ジェンダー平等」という課題に向き合うべきですが、その進め方は日本独自の文脈を考慮しながら慎重に行うべきことは言うまでもありません。。