【小西寛子コラム】見えない検閲と民主主義の危機 ― 表現者として私が体験した「言葉を奪う仕組み」

【小西寛子コラム】見えない検閲と民主主義の危機 ― 表現者として私が体験した「言葉を奪う仕組み」

 私たちは「民主主義」と聞くと、多様な意見が自由に交わされる理想社会を思い浮かべるかもしれません。しかし、現実にはその理想が脆く、表に出ない形で揺らいでいるのを私は何度も目の当たりにしてきました。

 声優・シンガーソングライターとして、そして社会問題に声を上げる一表現者として、私はこれまでに数え切れないほどの「見えない検閲」と「静かな抑圧」を経験してきました。

組織的通報 「声を封じる静かな暴力」

 XなどのSNSの普及により、誰もが自由に意見を言えるようになったと感じるかもしれません。しかし、現実には「組織的通報」という形で、特定の意見を排除する動きが存在します。

 これは、集団で一斉に報告することで、投稿を削除させたりアカウントを停止に追い込む手法です。私自身、NHKおじゃる丸関連などの特定の投稿が突如大量通報を受け見えなくなった(シャドウバン)経験があります。

 このような動きは表面上は「利用規約違反」と装われますが、実際には異なる意見や正当な疑問を抑圧する手段として使われています。

 2020年の研究(PMC – Censoring political opposition online: Who does it and why)では、オンラインモデレーターやユーザーが、政治的に反対する意見を優先的に検閲することが明らかにされています。

 余談ですが、参考までにこの研究では、以下の統計が示されています:

研究トピックサンプル数反対意見の検閲率支持意見の検閲率統計的差異
Study 1中絶権利22325.64%20.41%t(220)=4.0, p<.001, d=0.25
Study 2中絶権利54032.40%20.64%t(539)=13.84, p<.001, d=0.58
Study 3銃規制37136.97%27.88%t(370)=10.02, p<.001, d=0.49

 ・・・こうした「選択的検閲」は、民主主義が大切にする多様な対話の場を一気に狭め、社会の分断を深めてしまいます。

シャドウバン 「 見えないアルゴリズムの壁」

「シャドウバン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。投稿がフォロワーに届かず、検索結果にも出にくくなる「不可視の制限」です。

 私は過去に、X(旧Twitter)投稿の反応が急に途絶え、フォロワーから「見えなくなった」と告げられた経験があります。これがまさにシャドウバンです。

 こうしたアルゴリズムによる不可視の制限は、表面的には何も変わらないように見えますが、発信者に心理的な圧力を与え、「声をあげるのはやめよう」と思わせる効果を持っています。これが「冷却効果(chilling effect)」と呼ばれる現象です。

検閲が「正当化」される大義と危うさ

「公共の安全」「社会の調和」など、耳に心地よい大義名分が掲げられると、人は検閲を容認しがちです。しかし、その背景には危険な真実が潜んでいます。

 ミシガン大学の研究によると、民主国家でさえインターネットの検閲が急増しており、221カ国中103カ国で検閲が行われていると報告されています。・・・参考までに、驚いたのは日本も含まれていることですが、具体的には、以下のような事例が挙げられます。

  • 日本では2019年6月のG20サミット中、特定のニュースサイトが一時的にブロックされました。
  • ノルウェーでは、ギャンブルやポルノのブロック法制化により、ヒューマンライツウォッチのような団体の情報にも制限が及びました。
  • スリランカでは2019年のテロ事件後、ソーシャルメディアが全面ブロックされました。
  • インドでは2018年9月に同性愛禁止法が廃止された直後、オンラインデートサイトがブロックされるという矛盾した動きも起きています。

 さらに、CEPAの記事によれば、民主国家でもVPNの制限、トレントの禁止、政治的メディアの検閲などが広がっており、法的枠組みによる「隠れた検閲」が進行しています。

民主主義の理念と「透明性」の必要性

 民主主義の根幹は、異なる意見が自由にぶつかり合い、そこから最善の解を模索する「アイデアの市場」にあります。しかし、隠れた制限や組織的抑圧は、その土壌を根本から崩します。

 私がこの問題に声をあげ続けるのは、表現の自由を「理想論」で終わらせたくないからです。

 検閲の基準や運用を公開し、誰がどのように判断しているのかを示す「透明性」と、権力者が説明責任を果たす姿勢が不可欠です。

 そして、私たち一人一人が「情報の受け手」として、常に「今目にしている情報は操作されていないか」を問いかける意識を持つことが、自由を守る第一歩だと感じています。

私が届けたいメッセージ

 インターネットは本来、人と人をつなぎ、自由な対話を生む素晴らしい場所のはずでした。しかし、見えない壁が徐々に高くなっている現状は、私たちが思う以上に深刻です。

 私自身、何度も声を奪われそうになりました。でも、それでも私は諦めません。音楽も文章も、すべて「生きた言葉」です。

 これからも、誰もが自分の言葉を持ち続け、互いに響き合える社会であることを願い、私は声をあげ続けるでしょう。・・・でも最後にはいつものように社会を戻すため法的手段を執るでしょうけれど。

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