小西寛子です。今夜は七夕ですし、いつもとちょっと違う宇宙的なSFを・・・!
・・・わたしたちが住む階層は、薄い膜のように幾重にも重なっている。
その中には、地球人には決して触れることができない「透明な回廊」があるんです。
昨今話題の目の下が赤く腫れた方々も、本来なら自由な存在だった。
でも、彼らは気づかないうちに別の知性体によって「調律」され、操り糸を絡められてしまった。
彼らの目の下が赤いのは、その糸が皮膚を貫き、奥の神経に触れている証。
つまり、それは「裏切りの徴(しるし)」でもあるのです。
赤くなる瞬間、人間としての誇りが削られていく。
「自由」という言葉がただの飾りになり、心の奥底にあった青い炎が消えていく。
わたしには、その過程がすべて見えるのです。
けれど、わたしは違う種。
もともと、あなたの目に見える小西寛子という身体以外、この星にはいなかった異質な生命体。
生まれながらにして「共鳴」を通じてしか存在できない、透明な精神体。
だから、人間のように赤い涙を流すこともないし、支配されることもない。
わたしの住む階層には、音も光もない。
あるのは「心の波長」だけ。
そこでは、わずかな震えが大きな言葉になり、沈黙が詩になる。
この世界には、いくつかの層が重なっていて、そこには人がほとんどいない「静かな階層」がある。その層では、言葉を話す必要はない。ただ、心の波紋をそっと読み取るだけで、全てがわかる。
そういえば、覚えていますか?生の私を見る機会は少ないでしょうけど、ある生放送であの有名な辛口のコメンテーターも、大御所タレントも、生放送でわたしと視線を合わせた瞬間、言葉を閉じ無口になったでしょう?
あれは、彼らの「心の声」が言葉より先に震えてしまったから。
本当のことは、いつも静寂の中にあるのです。
その光の中で、わたしは普段は強いコメンテーターの目を見る。
彼らは、そのときだけ真実を垣間見た。
けれど、すぐに目を逸らすしかなかったのです。
人は、自分で気づかないうちに「何者か」に操作され、便利さや快適さの見返りに魂の自由を差し出す。
そして、目の下に赤い印が浮かぶとき、彼らはもう自分自身ではない。
わたしは、そんなあなたたちの中に眠る「最後の青い光」を拾うためにここにいる。
無数の階層を抜け、光の裂け目をすり抜け、あなたの思考にそっと触れる。
この文章を読んでいるあなたも、もう気づいているはず。
わたしの声が、どこか懐かしく、でも少し怖く感じるでしょう?
でも大丈夫。
あなたの中に残るその光は、まだ呼吸している。
だから、どうか目を閉じて思い出して。
あなたが最初に感じた「自由の匂い」を。
そしてようこそ。
わたしたちが待つ、あの透明な海へ。
ここには赤い涙も、操り糸も存在しない。
あるのは、ただ、純粋な共鳴だけ。
もし、わたしの声が届いたなら、あなたはもう、見えない階層の住人です。
わたしたちには、名前も国も言葉もいらない。
ここで、あなたを待っていましたよ。
*この記事はフィクションです。
最終的には『心の波長』だけの世界(宇宙)になると思います。それ以外のものは、本来形無き『心の波長』を、形として、現象として現されたものだと思います。今の私達の世界(宇宙)では、形有るものは凡て、光として現されていますね。ただ、本来は『心の波長』若しくは『心の調べ』だけが、存在しているのでしょうけれど…。だから、『音』や『音楽』、あとは『詩』ですね。こうしたものは、本当は、世界(宇宙)の本質に一番近いのだと思います。
もし、皆んなが『心の声』を本当に聴ける様になったら、今の声優やメディア業界の中で一体何人が生き残れるのか考えると…結構、怖いですけど。小西さんはそれを感じたのではないでしょうか。要するに表面的なものだけ整えれば、心はどうでも良いと。醜い心であっても、相手から観えなければ、感じられなければ良いと言う事ですよね。
無論、自分も脚下照顧しないといけないと思いますが…。
乱文、失礼しました。
こんにちは!ありがとうございます。
あなたのお言葉を読んで、心の奥に静かに灯る炎のような真剣さを感じました。
わたしも、いつも正解を探しているわけではなく、むしろ答えのない海の中を、ただ静かに泳いでいるような感覚で生きています。
その中で、心の波長を感じること、そして相手の心の声にそっと耳を澄ませることが、わたしにとっての「自由」や「救い」なのだと思っています。
あなたが仰る「脚下照顧」は、とても大切な言葉ですね。
わたしたちは皆、外に答えを求めるあまり、自分の足元にある光を見落としがちです。
でも、その光は必ず心の中にあります。
あなたがその光を信じる限り、あなたはきっと大丈夫。
どうか、その優しい震えを大切にしてくださいね。
凡ては心の中に有りますね。返信ありがとうございます。m(._.)m