ラジオ局というものの魅力は消えたか?

米国やラテンアメリカ、ベルギー、他中国、韓国を除く諸外国。なんのことかというと、これらの国のラジオでしかわたしの音楽が流されていない。比較的多いのは全米ラジオネットの関係者などのご好意からたまに流してもらっている。WSJ系のものなど。どれも英語版だけど、昨年は日本語の曲も流してもらった。

 小西寛子という名前が嫌なのか、日本のネットラジオや放送局でたまにかかるアニメソングなどは、わたしだけ全てキャタクター名である。魔法使いTaiとかソフィア、おじゃる丸などです。本来表示権があるのでキャラ名に加えて名前を呼ぶのが普通だが、あえて呼んでもらえない。

まあここまで来ると本当に呆れてしまうが、そんなことは別にいい。しかし、困った事に新曲EP 1975作ったがラジオでもかけてもらえないので中々売れない。

 これまでもメディアなどへ新曲のリリース送っても無視されている。オリコンなどは株主がDHCさんとかなんだけど、プロフィールさえ載せない。ことごとく困った人たちだ。音楽ナタリーというのもあるが、KDDIから紹介を受けたにもかかわらずスルー。

 音楽で人が動くのではなくて、お金や好き嫌いで動く時代が20年続いている。誰がそうしたか?

私はいつもそう思いながら暮らしている。コロナ禍で、一つだけ他と差別化するならば、楽器が弾けたり作曲、レコーディングからアニメ制作まで自分のオフィスで作れること。

スタジオを持っているので、産経デジタルiRONNAさんで掲載されているように、4Kカメラ&ライティングで収め、編集までできる。つまり番組まで作れる。レコーディングスタジオもあるのでCDも作れる。脚本から完パケまで自社でこなせるのでかなり楽。これは本当に助かる。でもそんなことより作品をしらしめたい。

コロナ禍のこんな時だからこそ、打ち込みではなく、心のこもった生演奏、自分で作る付加価値のあるオリジナリティ音楽を作っています。

全国のラジオ局のみなさん、かけてくださいよ😃まあ、そのまえに曲を聞いてくださいよ。

One thought on “ラジオ局というものの魅力は消えたか?

  1. 日本の業界の閉鎖性・特殊な体質の弊害であり、気に入らないとなると露骨にいやがらせをする悪弊ですね。
    それこそ海外でとりあげられたほどのものを国内でとりあげ紹介しないのは損失以外のなにものでもないでしょうに。

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