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なぜ「日本人ファースト」は嫌われるのか?

「日本人ファースト」の言葉が分けるもの、つなぐもの

 最近、SNSで「日本人ファースト」という言葉をよく見かけます。愛国心を掲げる力強いスローガンに見えますが、「排外的だ」「視野が狭い」と批判され、ネット上で激しい議論を巻き起こします。一方、「生活ファースト」や「国民の生活が一番」、「都民ファースト」は穏やかに受け入れられやすい。なぜこの違いが生まれるのでしょうか。

 「日本人ファースト」は、「日本人を守る」という想いを込めた言葉に見えますが、「誰を守るのか」が曖昧になりがちで、X上では賛成と反対の意見がぶつかり、感情的な対立が生まれます。例えば、2024年の東京都知事選では、「日本人ファースト」に似たスローガンを使った候補者の投稿がXで拡散され、「日本を優先すべき」と訴える声が広がりました。

 一方、「都民ファースト」を掲げる候補者は、東京に住む人々の暮らしを強調し、比較的穏やかな支持を集めました。しかし、「日本人ファースト」は「外国人排除か」との誤解を招き、支持者と批判者が互いを非難し合う事態に。こうした議論は、時に集団心理や強い主張で過熱し、分断を深めます。

 「生活ファースト」や「都民ファースト」は、特定の誰かを排除するイメージが薄く、誰もが共感しやすい「暮らしを守る」という願いに根ざしているように見えます。一般的に、何処の国問わず国籍や背景に関係なく、安心な生活は誰もが望むもの。SNSでも、「みんなで暮らしやすい社会を」と訴える投稿は、対立よりも共感を集めやすい傾向があります。

 問題は、どんなスローガンでも、感情をむき出しにして相手を認めない人がいると、議論がこじれること。まるで子供のケンカのように、自分の意見や思想だけを押し通そうとする。成熟した大人なら、相手の意見を「右から左に流す」柔軟さを持てるはず。それが知性と強さの証です。

 殊、スローガンは、仲間意識を高める一方、敵意を煽る「劇薬」にもなります。使い方を誤れば、権力や利益のために利用され、弱い立場の人々が孤立する「言葉の病気」を引き起こします。SNS上でも、特定のスローガンが一部の強い声で増幅され、冷静な対話が難しくなることがあります。だからこそ、「誰を守るのか」を考えたい。

 「日本人ファースト」は、「日本に住む人々の生活を大切にしたい」想いから来ているかもしれません。でも、誤解を招きやすいです。どうせ使うなら、「共に守る」意味を明確にし、「生活ファースト」や「平和ファースト」を添えて、優しさと包括性を伝えたい。

 SNS上では、様々な声が飛び交います。「日本人も外国人も、みんなで安心して暮らせる社会を」と願う投稿がある一方、「ゴミ捨てルールや夜中の騒音など、外国人のマナー違反は許せない」「日本の文化を守りたい」と考える人もいます。

 例えば、ゴミ箱の分別ルールや静かな住宅街での騒音は、身近な問題として多くの人が気になる点です。どちらも、暮らしや大切なものを守りたい気持ちから。使う側は意図をはっきり伝える責任があり、受け取る側も感情的に拒否せず、対話で真意を確かめる姿勢が大切です。

 異なる意見を認め合うことで、対立を超えた共感が生まれます。誇りを持ちつつ、柔軟で優しい心を忘れない。それが「日本人ファースト」を使うときの姿勢です。地球という一つの船に乗る仲間として、「平和ファースト」の視点に立ちたい。

 戦後80年を迎える今、平和を築いた日本らしい知性と助け合いの精神は、私たちの誇りです。この精神を胸に、誰もが安心して暮らせる未来を共に築きたいと信じています。

小西寛子のセカンドオピニオン・フォワード

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