闇のクマさん訴訟が問う「開示情報」の使い道——実名公表は公益か、報復か

闇のクマさん訴訟が問う「開示情報」の使い道——実名公表は公益か、報復か

開示請求で得た実名は、どこまで公表できるのか

発信者情報開示請求によって判明した氏名を、裁判上の権利行使を超えてSNSで公表することは、どこまで許されるのか。

筆者は、Youtubeや匿名性のある人物の発言をスルーしてしまうか、全く見ないのでこのような方は存じ上げなかったが、YouTuber「闇のクマさん」として活動する男性が、評論家の「猫組長」氏と作家で日本保守党代表の百田尚樹氏を相手取り、名誉毀損などを理由に東京地裁へ提訴したと報じられた。報道によれば、男性は、開示手続で判明した自身の氏名がSNSなどで公表されたことで、名誉や生活の平穏を侵害されたとして、投稿の削除、各330万円の損害賠償、謝罪投稿を求めている。

*なお、猫組長氏については、本人のメディアや著者プロフィール等で「猫組長(菅原潮)」と表記されており、公表済みの著者名・活動名として扱える。一方、本件で問題とされているのは、発信者情報開示手続によって得られた、匿名活動者側の実名をSNS上で公表したことの是非である。

現時点で、こちらが確認できるのは記事など報道された内容と、公開されている法令・制度資料に限られる。したがって、本稿では、訴訟の結論を予測するのではなく、報道で示された事実関係を前提に、どのような制度上・社会上の論点があるのかを整理する。

報道や記事で確認できる事実関係

Yahoo Newsに掲載されていた弁護士ドットコムの記事によれば、男性はYouTubeチャンネル「闇のクマさん世界のネットニュース ch」を運営し、「闇クマ」の通称で知られているという。2024年2月に公開した動画について、猫組長氏は名誉を傷つけられたとしてGoogleを相手に発信者情報開示命令を申し立て、男性の氏名の開示を受けた。その後、2025年6月、男性に対して損害賠償を求める訴訟を起こしたとされる。

同記事によれば、猫組長氏は2025年6月12日、Xと個人メディアで「『闇クマ』こと実名の人物を東京地裁に提訴した」趣旨の投稿をし、百田氏はこれを引用して、東京地裁が違法行為を認定したかのような趣旨の投稿をしたとされる。

男性側は、一連の投稿を受けて勤務先を特定する書き込みが相次ぎ、実際に電話がかかってきたと主張している。また、会見では、結果的に3週間、一切の活動を停止する状況に追い込まれたと述べたと報じられている。

ここで重要なのは、現段階では、これらが訴訟で争われている主張を含むという点である。したがって、記事としては「違法だった」と断定するのではなく、「開示情報のSNS公表が、名誉や生活の平穏を害する利用にあたるかが問われている」と表現するのが適切である。

裁判の公開とSNS拡散は同じではない

この問題では、まず「裁判になれば氏名は一定程度明らかになるのだから、SNSで公表しても同じではないか」という疑問が生じる。

本題に入る前に、筆者自身の経験との違いを明確にしておきたい。筆者自身も、過去に筆者に対する名誉毀損事案で刑事告訴を行った際、相手方を名宛てし、罪名・罰条を示したうえで、「本日、刑事告訴をした」と告知したことがある。

したがって、筆者は「法的手続に入ったことを公表すること」それ自体を否定しているわけではない。被害を受けた側が、自己の権利回復のために刑事告訴や民事提訴を行い、その事実を一定の範囲で社会に説明する必要が生じる場合はある。

ただし、そこで本件と分けるべき点がある。刑事告訴や民事提訴の事実を告知することと、発信者情報開示手続によって取得した匿名活動者の実名をSNSで公表することは、同じではない。前者は、自己がどの被害について、誰を、どの法的手続に付したのかを説明する行為でありうる。これに対し、後者は、匿名で活動していた人物の現実生活上の同定可能性を高め、不特定多数に向けて拡散する行為になりうる。

もちろん、刑事告訴や民事提訴の告知であっても、相手方を有罪・違法と断定したり、手続に必要のない私生活情報を広めたりすれば、名誉毀損やプライバシー侵害の問題は生じうる。だからこそ、手続の告知と、個人情報の拡散は分けて考えなければならない。

裁判の公開とSNSでの拡散も、制度目的が異なる。——裁判の公開は、司法判断の公正を社会が検証できるようにするための制度である。一方、発信者情報開示は、匿名投稿によって権利侵害を受けたと主張する者が、損害賠償請求などの権利行使を可能にするための制度である。

裁判の場で一定の情報が扱われることと、開示手続で得た氏名を不特定多数に向けてSNSで拡散することは、到達範囲も、拡散速度も、社会的効果も異なる。

特にSNSでは、氏名の公表が、勤務先特定、電話、嫌がらせ、家族や生活圏への接触といった二次被害につながりうる。だからこそ、この問題は単なる「実名か匿名か」ではなく、制度を通じて取得した個人情報を、どの目的で、どの範囲まで使ってよいのかという問題になる。

情プラ法7条の「みだりに用いて」とは何か

情報流通プラットフォーム対処法7条は、発信者情報の開示を受けた者について、その情報を「みだりに用いて」、発信者の名誉または生活の平穏を不当に害する行為をしてはならないと定めている。

この条文には刑事罰が設けられていないとされる。しかし、罰則がないからといって、法的意味がないわけではない。少なくとも、民事上の不法行為や名誉毀損、プライバシー侵害、生活の平穏侵害を考える際に、開示情報の利用目的、必要性、相当性を判断する重要な基準になりうる。

つまり、問題は「実名を出したかどうか」だけではない。その氏名を出す必要があったのか。訴訟告知の目的を超えていなかったか。公表によって生活上の攻撃が誘発されることを予見できたか。そして、実名とともにどのような評価や事実を結びつけたのか。これらを分けて検討する必要がある。

実名公表は常に違法なのか

実名公表が常に違法になるわけではない。社会的影響力のある発信者について、その活動内容や訴訟の存在が公共的関心の対象となる場合はありうる。とくに、政治的・社会的テーマを扱う大規模アカウントであれば、その発信の責任をめぐる議論には公共性が認められる余地もある。

しかし、公共性があることと、実名を広く拡散する必要があることは別である。「闇のクマさんを提訴した」と伝えることと、開示手続で取得した実名を示して投稿することは、同じではない。前者は訴訟の存在を伝える行為でありうる。後者は、匿名で活動していた人物の現実生活上の同定可能性を高める行為である。

この差を無視すると、発信者情報開示制度は、権利行使のための制度から、相手を社会的に罰するための制度へ変質しかねない。

問題は「実名」だけでなく、何と結びつけて投稿したか

名誉毀損の観点では、実名を出したことだけでなく、その実名とどのような事実や評価を結びつけたかが問題になる。報道によれば、百田氏は、東京地裁が違法行為を認定したかのような趣旨の投稿をしたとされる。一方、男性側は、東京地裁が動画によって猫組長氏の社会的評価が低下したとは認められないとして請求を棄却し、判決は確定したと説明している。

この点は、実際の投稿全文、前後の文脈、判決内容を確認しなければ断定できない。したがって、記事としては、「投稿内容が判決内容や開示手続の意味を正確に伝えていたか」も争点になりうる、と整理するのがよい。

匿名発信者の責任と、生活の平穏の境界

匿名発信者であっても、他人の名誉を毀損すれば責任を負う。影響力の大きい匿名アカウントには、その影響力に応じた社会的責任もある。一方で、匿名で発信している人物の実名や生活圏を暴くことが、常に正当化されるわけではない。

発信者情報開示制度は、被害を受けたとする者が、裁判などの権利行使を可能にするための制度である。開示された情報を使って訴訟を起こすことと、その情報をSNS上で拡散し、社会的制裁を呼び込むことは区別されなければならない。匿名表現の自由と、名誉毀損被害の救済。実名発信者の責任と、匿名発信者の生活の平穏。この二つを単純な善悪に分けることはできない。

PIBの視点――前提をすり替えないために

余談だが、ここで、筆者がAIガバナンス研究において発見・形式的に定義したPremise Integrity Blindness(前提完全性盲目)、すなわちPIBの視点を補助線として置きたい。PIBとは、内部的には整合した推論が、前提そのものを再検証しないまま現実の行為や設計へ移ってしまう構造的失敗である。AIの文脈では、モデルがある前提の中では正しく推論していても、その前提が現実に有効かを確認しないまま、実装や運用の提案へ進む危険として整理される。

本件に引き寄せれば、「裁判は公開される」という前提から、「だから開示請求で得た実名をSNSで広く出してよい」という結論へ進む場面に、前提の再検証が必要になる。裁判公開の制度目的と、開示情報の利用目的は同じではない。訴訟告知と、実名拡散も同じではない。公共性と、個人情報を晒す必要性も同じではない。

この区別を飛ばすと、もっともらしい理屈の中で、制度の目的がすり替わる。

制度を報復の道具にしないために

発信者情報開示制度は、誹謗中傷や権利侵害を受けた人にとって重要な救済手段である。制度が使いやすくなること自体は、被害者救済の観点から必要である。しかし、制度を通じて得た個人情報が、SNS上の晒しや動員、収益化された炎上の材料として使われるなら、制度への信頼は損なわれる。

今後の制度設計では、開示情報の目的外利用、SNS上での拡散、二次被害、収益化との関係をより具体的に検討する必要がある。ただし、正当な訴訟告知や公益的報道まで萎縮させないよう、必要性、相当性、予見可能性を丁寧に切り分けることが求められる。

この訴訟が社会に問うもの

この訴訟が問うているのは、匿名発信者を無条件に守るべきか、実名発信者を優遇すべきか、という単純な話ではない。問われているのは、権利行使のために取得した個人情報を、どの目的で、どの範囲まで使ってよいのかである。

裁判で明らかになりうる情報と、SNSで拡散してよい情報は同じではない。開示請求で得た情報と、社会的制裁のために使ってよい情報も同じではない。その境界を、表現の自由、匿名表現、名誉、プライバシー、生活の平穏、そして発信者情報開示制度の目的から、丁寧に切り分ける必要がある。

注意

本稿は、現時点で公開確認できる報道、法令、裁判所資料、関連ガイドラインをもとに構成した。問題とされた投稿全文、投稿前後の文脈、前訴判決全文については未確認であり、個別の違法性判断を断定するものではない。

出典・参考資料

  • 弁護士ドットコムニュース「YouTuber『闇のクマさん』、猫組長氏と百田尚樹氏を提訴『開示請求で得た実名をSNSで公表された』」(2026年7月24日)。本件の提訴、請求内容、会見での説明、情プラ法7条をめぐる争点、相手方への取材状況について参照した。
  • e-Gov法令検索「特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律」。発信者情報の開示を受けた者が、その情報を「みだりに用いて」発信者の名誉または生活の平穏を害してはならないとする条文を参照した。
  • 東京地方裁判所「発信者情報開示命令申立て」。発信者情報開示命令事件の制度概要、SNS等の投稿による権利侵害を理由にIPアドレスや氏名・住所等の開示を求める手続について参照した。
  • 情報流通プラットフォーム対処法関連情報サイト「名誉毀損・プライバシー関係ガイドラインの目的・位置付け等」。名誉毀損・プライバシー侵害に関する判断基準の位置付け、情報内容や掲載場所の特性によって判断が異なるという整理を参照した。
  • 弁護士ドットコムニュース「高裁で逆転したネット中傷『悪徳弁護士』事件、発信者情報が『別の裁判で証拠にできる』意義」。発信者情報の目的外利用が直ちに違法となるわけではなく、個別事情を踏まえて判断されるという近接論点の参考資料として参照した。
  • Hiroko Konishi, “Premise Integrity Blindness: The Discovery of a Structural Failure Mode in Large Language Models”(2026年2月11日)。PIBを、未検証または無効な前提から整合的推論が現実のコミットメントへ移る際に前提を再検証しない構造的失敗として扱う理論的補助線として参照した。
  • Hiroko Konishi, “Correct Reasoning, Unsafe Commitment: Structural Failure of AI under Unverified Premises”(2026年7月23日 draft)。PIB、FCL、FCL-Sを踏まえ、前提再検証のない現実的コミットメントを「commitment safety」の問題として整理する資料として参照した。
  • Hiroko Konishi, FCL-S V6.0-3 Integrated V7 Command Layer Draft(2026年7月2日)。FCL、FCL-S、PIBの帰属関係および、未確認情報を確定事実へ昇格させないという監査・統治上の考え方を確認するために参照した。