音楽教諭の恫喝、学年主任のデマ拡散、一部生徒の特別扱い……A君を孤立させた恐るべき「保身の連鎖」を暴く
【保護者必読】連載第2回(いじめ)青梅市立中「ホタルの学校」で何が起きているのかからの続きです。
「いじめは無くならない」。
青梅市の学校問題を追う中で、この言葉がこれほど重く、そして絶望的に響くことはない。市が公表する「青梅市いじめ防止マニュアル(令和4年7月改訂)」には、「いじめの根絶に向けて」という美辞麗句が躍り、いじめ防止条例に基づく具体的な取り組みが厳かに説明されている。
しかし、どんなに立派なマニュアルや条例があろうとも、学校という閉鎖空間の中で子どもが組織的に排除される構造は、一向に消え去る気配がない。それどころか、教育現場の表舞台では「配慮」「体調不良」「別室対応」「聞き取り」「教育的指導」といった、一見するともっともらしい言葉に置き換えられ、いじめの本質は巧妙に隠蔽されていくのである。
連載第3回となる本稿で詳報するのは、被害生徒であるA君を徹底的に追い詰めた、もう一つの恐るべき構造だ。音楽教諭、社会科の学年主任、そしてA君の所属していた音楽教諭が顧問の部活動に所属する、A君に対し「死ね、ウザい」など暴言を吐き、日頃から「死んじゃいたい」などと情緒的に訴えることで学校側から配慮を受ける女子生徒ら。その一方で、凄惨な被害を受けたはずのA君だけが、まるで学校の秩序を乱す危険分子であるかのように扱われていく。
これは決して子ども同士の些細な争いなどではない。小規模特認校という、外の目が届かない閉じた学校空間の中で、教員の歪んだ判断、一部生徒への異常な特別扱い、部活動内の絶対的な関係、そして学校組織の凄まじい保身が複雑に絡み合い、被害生徒を学校から強引に押し出していった「組織的排除」の記録である。
自然豊かな「ホタルの学校」が隠す、いびつな二重構造の罠
A君の通う青梅市立中学校は、青梅市の埼玉県飯能市寄りの緑豊かな地区に位置している。青梅市の公式サイトでも「少人数によるきめ細かな指導を行う小規模特認制度の学校」として広く紹介されており、他地区からの入学者を募るための学校見学会や説明会も熱心に案内されている。小規模特認校とは、本来の通学区域の枠を超えて市内全域から通うことができる柔軟な制度だ。この中学校も、かつては地域の子どもたちが自然と集う典型的な地元校であったが、過疎化と少子化の波に押され、現在は第1学年の学級定員を20人程度に設定し、近隣の小学校からの入学予定者を除いた枠を市内全域から募集する形態をとっている。
つまり、この学校には現在、二つの相反する顔が同居しているのだ。一つは、古くから地域に深く根ざした「地区の地元校」としての顔。もう一つは、A君のように遠方の他地域から希望して通ってくる「外部生の受け皿」としての顔である。この、地域に守られた地元生徒と、孤立無援で飛び込んできた外部生徒という決定的な「二重構造」こそが、今回起きたいじめの本質を見えにくくし、排除の力学を加速させる温床となった。
学校の公式パンフレットや教育委員会が作成する資料は、同中学校の豊かな自然環境をこれ以上ないほど美しく描き出す。山間部周辺の深い森林に囲まれ、夏にはグラウンドに本物のホタルが舞い踊る。四季折々の花と緑に包まれた少人数環境の中で、地域住民が手作りしたビオトープを活用した「ホタル学習」などの特色ある教育が行われている。
実際、2024年時点の教育関係の記事でも、全校生徒わずか38人のアットホームな小規模校として絶賛されていた。だが、こうした耳ざわりの良い美しい学校案内は、その内側でうごめくドロドロとした権力関係を一切説明しない。ホタルが飛び交い、清流を渡って登校する牧歌的な風景の裏側で、A君は音楽教諭から激しい恫喝を受け、謝罪する必要など微塵もない事柄に対して無理やり首を縦に振らされ、複数の部員の前でさらし者にされるという屈辱を味わっていた。
それを告発したA君にさらに追い打ちをかけるように、学年主任によって、言ってもいない「ウザい」「死ね」という暴言を吐いた加害者に仕立て上げられそうになり、「学校内に盗聴器を持ち込んで見せびらかした」という悪質な名誉毀損、虚偽情報まで教職員や生徒の間にバラまかれたのである。
のちに、副校長の生徒らへの詳細な聞き取りによって、これらの容疑がすべて「事実無根」であることが証明されたにもかかわらず、学年主任からA君への謝罪は今なお一切ない。美しい自然の裏側で、傷つけられた被害生徒の名誉回復は完全に放棄されたままである。
「死んじゃいたい」と言えば「特別配慮」――加害側を全肯定する「偽りの配慮」
いじめがいつまでも根絶しない最大の原因は、学校側の初期対応の誤りと、教師たちの保身にまみれた偏向姿勢にある。本誌取材班の調べによると、学年主任はA君の入学と全く同時期に、伊豆諸島の離島からこの中学校へ赴任してきた人物であった。A君にとっては中学生活のスタートから直属の学年主任だったわけだが、問題は、この教諭が被害者であるA君のSOSに耳を傾けるどころか、A君を徹底的に追い詰めた女子生徒側の言い分ばかりを全肯定し、寄り添い続けた点にある。
複数の生徒の証言によれば、問題の女子生徒2人のうち1人は、入学直後から学年主任やスクールカウンセラーの元へ頻繁に相談に駆け込んでいたという。少しでも都合が悪くなると「気分が悪い」と言い出し、それに対して学年主任らはまるでお姫様を扱うかのように手厚い特別配慮を連発した。
クラスで全体で謝罪させる学年主任
「A君が教室に来たから、別の部屋で授業を受けたい」――前回も報じた通り、このような女子生徒側の理不尽な訴えに対し、学年主任は無批判に特別な便宜を与え続けた。また、気にいらない事があると「気分が悪いので帰ります」と勝手に早退することが度々あった。クラスの生徒らは「勝手に早退しても良いのか?」という疑問を呈したが、同学年主任は、「その疑問が彼女を傷つけたからみんなで謝ろう、謝れないのは子どもだ!」など常に周りが謝罪させられているという。
もちろん、生徒が精神的に本当に苦しんでいる場合、学校が適切な配慮や環境調整を行うこと自体は否定されるべきではない。だが、その「配慮」という名の大義名分が、特定の生徒を合法的に排除するための武器として悪用されたらどうなるか。
「気分が悪い」と言えば、A君と同じ空間にいなくて済む。「死んじゃう」と騒げば、学校は理由を問わずその生徒の要求を最優先する。「A君が来るなら別室に行く」とアピールすることで、結果として「A君が学校に来ること自体が周囲の迷惑であり問題だ」という最悪の空気を作り出す。
これは教育的な配慮などでは断じてない。学校に不利な噂や告発が出ることを恐れ、波風を立てる生徒を組織からなぶり出すための、極めて陰湿で巧妙な「排除のシステム」そのものである。
音楽教諭の公開羞恥と、学年主任が仕掛けた「盗聴器デマ」の悪質性
今回の事案は、一人の問題教諭の暴走だけで片付けられるものではない。音楽教諭は、A君を逃げ場のない応接室に呼び出し、激しい口調で恫喝的に責め立てて恐怖心を与え、本心ではない言葉を無理やり言わせた。それだけに留まらず、同教諭はA君を音楽室へと引きずっていき、他の部員の目の前で、理不尽な謝罪を強要したのである。
屈辱のあまりその場で泣き崩れるA君に対し、音楽教諭は信じがたいことに、大笑いの常軌を逸した嘲笑を浮かべながらさらに残酷な言葉を浴びせかけた。その上、複数の生徒の前で「1位は○○」「2位は○○」「3位は○○」「Aはビリ」といった、生徒を恣意的に順位付けして人間性を侮辱する発言まで言い放ったという(音声)。
そして、この教諭が顧問を務める部活の中に、A君を陥れるための虚偽情報を学年主任に熱心に持ち込む女子生徒たちがいた。二人は地元生徒、共に部活動のメンバーである。彼女たちは、A君が「ウザい」「死ね」などという暴言を吐いたかのように話をつくり、さらに「盗聴器を見せびらかしている」という奇怪なデマを学校内に広く拡散させた。
学年主任は、このあまりにも不自然な密告を、裏付け捜査もせぬまま鵜呑みにし、A君がさも凶暴で危険な生徒であるかのように、また不審な「盗聴器」を操る犯罪者であるかのように、同僚の教員や他の生徒たちに「調査と称して触れ回った。」これは教育者として一線を越えた、明白な名誉毀損であり信用失墜行為である。
学校という狭く閉ざされた絶対的な階層社会において、学年主任という権力者がそのような情報をひとたび発信すれば、その破壊力は子ども同士の噂話の比ではない。A君は一夜にして、全校生徒から「近づいてはいけない危険人物」の烙印を押されてしまったのだ。
その後、副校長による再調査でこれらのデマがすべて事実無根の冤罪であったことが確定したにもかかわらず、学年主任は今日に至るまでA君に頭を下げていないという。虚偽情報によって徹底的に踏みにじられた中学生の信用と名誉は、完全に引き裂かれたまま放置されている。
そもそも、A君が自分の身を守るために録音機器を所持せざるを得なくなった背景には、音楽教諭から受けた執拗な恫喝や謝罪強要、そしてそれを組織ぐるみで隠蔽しようとする学校への正当な防衛策があった。ところが、学年主任の手によって、その命綱である「録音機器」という言葉が、意図的に「盗聴器」という犯罪的な言葉へとすり替えられた。
この言葉の変換こそが最も悪質である。事実を正確に記録するためのデジタルレコーダーと、犯罪行為に使用される盗聴器では、周囲に与える印象が天と地ほども違う。「中学生が学校で盗聴器を見せびらかしている」と大人が触れ回れば、周囲の生徒や保護者が「あの子は怖い」「何を盗み聞きされるかわからない」とパニックになり、孤立化するのは自明の理だ。A君はただ、激しい被害から自分を守ろうとしていただけなのに、大人の悪意ある言葉のすり替えによって、加害者へと仕立て上げられたのである。
実は、「ウザい、死ね」等のいじめ言動を「録音されている」と勘違いした生徒らの密告に教諭が乗った話かも知れないが・・・。
過去の重大事態から何も学ばない青梅市教委――SOSを消し去る学校に存在価値はあるか
青梅市は、過去にもいじめをめぐる極めて重大な事態を経験しているはずだ。青梅市教育委員会は、市内の中学校で起きた別のいじめ事案について、2021年3月に「重大事態」として正式に認定したと報じられている。当時の報道では、調査が泥沼化して長期化し、関係者が「いじめと向き合う、あまりにも辛く苦しい時間だった」と吐露する場面も記録されている。
その手痛い教訓から生まれたはずの「いじめ防止マニュアル」であったが、結局のところ、それは行政のアリバイ作りのための単なる「紙切れ」に過ぎなかったことが、今回の件で完全に証明された。子どもを現実の暴力や排除から救い出すのは、綺麗に印刷されたマニュアルではない。現場の教師たちが、誰の言葉に真摯に耳を傾け、誰の嘘を見抜き、誰に非を認めさせて謝罪させ、誰の名誉を全力で回復するのかという、血の通った毅然たる対応である。
あろうことか青梅市教育委員会は、音楽教諭による威圧や謝罪強要の事実そのものを「認めない」とする不誠実極まりない回答書を送りつけてきたのである(令和8年7月8日現在、A君の再調査が開始)。現在は、A君が悪いとでも言うのだろうか。A君が教室に行くと誰かが気分を悪くするから、被害者であるA君が空気を読んで遠慮すべきだったというのか。自分を守るために録音したから悪いのか、ネット上にSOSを発信したから悪いのか。断じて違う。悪いのは、声を上げた被害児童を守るどころか、虚偽のデマを放置し、加害側の我が儘を「配慮」と称して優遇し、被害者を徹底的に孤立無援へと追い込んだ学校の歪んだ構造そのものである。
この学校では、傷ついたA君の声だけが、組織の巨大な壁によってかき消されている。音楽教諭は公開羞恥の主犯であり、学年主任は冤罪デマの拡散者であり、地元生徒らはその歪んだ権力を利用して別室登校の特権を享受している。そして校長は生徒の叫びを消去し、教育委員会は保身の回答書で幕引きを図る。いじめとは、単に直接的な暴力や暴言だけを指すのではない。事実を都合よく歪曲すること、被害者を危険人物としてプロパガンダすること、泣きつく側の嘘を検証せず守ること、地元生徒を不当に優遇して外部生を孤立させること、そして子どもが発した命のSOSを綺麗に消し去ること――その大人の卑劣な行為のすべてが、いじめという名の「組織的排除」を完成させるのだ。青梅市教育委員会と中学校は、この緑豊かな自然の裏で起きている悍ましい現実を、今こそ直視しなければならない。そして現在もなお、A君は傷だらけになりながらも、再び学校という場所へ、自らの尊厳を取り戻して戻るために、孤独な戦いを続けている。
【記事末尾注記】
本稿は、当事者本人、保護者、関係者への綿密な取材、保護者側から提出された書面、青梅市教育委員会回答書、Google Classroomに記録された通信履歴、当時の音声記録、学校の内部関係資料、および公開情報に基づき、客観的な事実検証を経て構成しています。なお、未成年者保護の観点から生徒名はすべて匿名(A君等)とし、教職員の記載については職務上の行為および公的な責任の範囲に限定しています。しかしながら、教諭らは公職という身分であるので、進展によっては当編集部は実名で記載する。記事は編集部にて内容を厳正に確認の上、続報にて随時掲載いたします。
