(写真:筆者撮影、千葉県九十九里浜サーフィン・スポットの青空)
筆者の所属する事務所の前身は広告や番組製作関連の会社です。・・・といっても筆者が参加する遙か以前の話で現在は広告製作関連の部門は関連会社の別部分で生き続けています。
大昔、事務所の資料整理の手伝いをしたときに「ブック」と呼ばれる作品集のようなもの(*元々はモデルさんがオーディションで持ち歩く写真集の通称)を見つけ、様々な企業の作品が挟み込まれているのを見た時に事務所が意外な仕事をしていることを発見したものでした。
NTTが電電公社と呼ばれる頃の公告、NTTになりかけの電話機の広告類から珍しいものではNTT日本電信電話(株)の中のNTTドコモと分社化される前の高度通信サービス事業本部の中にあった移動体通信事業部の電車内広告、テレホンカードのテレカというものまで・・・。
そこで思い出すのは移動通信事業部のポケベル広告。なぜこの話を今日したかというと遡ること2004年の今日6月30日、NTTドコモがポケットベルの新規契約の受付を停止した日だからです。
それにしてもドコモでは平成16年までポケットベルサービスが続いていたことにも驚きです。(*日本国内一般向けPBサービスは2019年9月30日付のTTMの撤退)
ちなみにポケットベルを知らない方もいると思いますが、呼びたい人のポケベル専用電話番号にかけると、呼ばれた人の(厚さ1センチ × 高さ5センチほど大きさ)端末が「ピーピー」とかの音が鳴ったり、バイブレーター(振動)が機能するといった簡易な呼び出し端末です。
平成16年当時、携帯電話はすでに一般化しポケットベルのサービスは外回りをする営業職の呼び出しか、介護や、留守番電話が入ったときのお知らせなど、限定的な使われ方になっていたと思われます。
殊、初期のポケベルは音が鳴るだけの呼び出し機能のみでしたが、そのうち簡単な数字を表示させるLCD画面が内蔵され、49(至急)とか51(来い!)とか語呂合わせの数字(メッセージ)を入れられるものが流行し、月々の利用料の安さも相まり高校生などに爆発的なブームになったこともありました。
そんなブームも携帯電話の普及で終わりを告げましたが、とても簡易なサービスで残して欲しいという要望もあったの由。しかしながら、電波というのも資源。
限られた周波数の中で枠が決まっていて(道路の車線と同じ様なもの)、電波(周波数)をより合理的な利用ができるもの(携帯電話など、より一層一つの電波を利用して出来る最大限の機能を有したサービス)に取って代わるのもやむを得ないでしょう。
現在はスマホも当たり前の時代。筆者も1990年代のおわりころ東京デジタルホンというのを使っていて、テレビ東京と言うところで携帯電話関連のテレビ番組をさせていただいていました。
筆者のデジタルホン、デジタルツーカーもJ-PHONEにかわり、 ボーダフォン、そしてソフトバンクに変わって行く企業の再編や流行とテクノロジーの進化を含め、歴史の中で(そういえば「風と共に去りぬ」は1936年6月30日の今日出版)、時代と共に風のように消えるもの消されていくもの(「風と共に去りぬ」は、昨今人種問題で話題になった)様々。
さて、きょうの一曲は、1993年(平成5年)7月3日から同年9月25日まで日本テレビ系列で土曜21時に放送されていたテレビドラマ「ポケベルが鳴らなくて」のエンディング曲で、主役もされていた裕木奈江さんの「この空が味方なら」