終戦の日に戦争の主語を考える。国家と市民を混同しない、成熟した知性。

終戦の日に戦争の主語を考える。国家と市民を混同しない、成熟した知性。

今日8月15日、日本は81回目の終戦の日を迎える。政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、今年も日本武道館で全国戦没者追悼式を行う。厚生労働省によれば、2026年の式典は午前11時51分に始まり、遺族参列予定者は3,663人、遺族以外の参列予定者は約700人とされている。正午には、多くの人が黙とうを捧げる。だが、この日に考えるべきことは、ただ過去を悼むことだけではない。戦争というものを、どの主語で語るのかを考える日でもある。

戦争を語るとき、私たちはしばしば「日本」「中国」「アメリカ」「ロシア」「ドイツ」といった大きな言葉を使う。しかし、その言葉の中には、政府、軍、政治家、外交当局、メディア、産業、そして普通に暮らす市民が一緒くたに押し込められている。国の責任を問うことは必要だ。日本には日本の戦争責任がある。アメリカには広島・長崎への原爆投下をめぐる責任がある。ナチス・ドイツにはホロコーストと侵略の責任がある。ロシアにも、中国にも、欧州の旧植民地帝国にも、それぞれの歴史の中で問われるべき責任がある。どの国も、自国に都合の悪い記憶を小さく扱い、相手国の罪を大きく語りがちである。

けれども、国家の責任と、現在そこに暮らす市民一人ひとりの意思は同じではない。普通の人々は、戦争をしたいから朝起きているわけではない。敵国の誰かを殺したいから働き、子どもを育て、家族を守っているわけでもない。多くの市民にとって、日々の望みはもっと単純で、もっと切実だ。安全に暮らしたい。家族を守りたい。明日の食事を用意したい。病院に行ける社会であってほしい。子どもが学校へ行ける日常を壊されたくない。戦争は、そうした普通の願いとは別のところで、政府、軍、権力者、資源、領土、産業、選挙、面子、利害の計算によって進んでいく。そして、その結果として死ぬのは、しばしば戦争を決めた人々ではなく、決める力を持たなかった人々である。

今年の終戦の日にも、靖国神社をめぐる報道があった。Reutersは、8月15日に小泉進次郎防衛相が靖国神社を参拝し、高市早苗首相は参拝せず供物を送ったと報じている。靖国神社には戦没者約250万人が祀られ、その中には東京裁判でA級戦犯とされた14人を含む戦犯も合祀されているため、政治家の参拝は中国や韓国との間で長く外交問題となってきた。こうした事実は軽く扱えない。追悼のつもりで行われる行為が、周辺国からは違う意味として受け取られることがある。歴史の記憶は、国内だけで完結しない。

しかし、そこでまた「日本人は好戦的だ」といった大きすぎる主語に飛びついてはならない。政府の判断と、市民の意思は同じではない。防衛相の参拝と、普通の人々の日常は同じではない。ある政治家の言葉と、その国の全員の考えは同じではない。「日本が大国に挑発している」と言うとき、その「日本」とは誰なのか。政府なのか、外交当局なのか、特定の政治家なのか、メディアなのか、それとも、ここで普通に暮らしている人々なのか。そこを分けずに語れば、歴史批判はすぐに集団への憎悪へ変わってしまう。

これは日本だけの問題ではない。いま世界では、強い国ほど強気に振る舞い、外交の言葉がけんか腰になり、欲望を「国益」や「安全保障」と呼び換える空気が広がっている。強い言葉を使えば賢く見える。敵を名指しすれば正義に見える。報復を語れば勇敢に見える。しかし、力を誇示することは知性ではない。相手国の市民まで一括して憎むことは成熟ではない。世界を「味方」と「敵」だけに分ける考え方は、粗野で幼く、未来をつくる力を持たない。

そして、これは過去だけの話ではない。いまも無実の人々が死んでいる。Reutersは、ガザで8月13日にイスラエル軍の空爆によりパレスチナ人2人が死亡したと報じた。同記事によれば、米国が支援した停戦以降も、ガザではイスラエル側の攻撃で1,250人を超えるパレスチナ人が死亡し、その多くは民間人だとされている。イスラエル側は攻撃対象を「脅威」や「戦闘員」と説明するが、現場で命を落とす人の中には、家族を持ち、生活があり、名前があり、帰る場所を持っていた人々がいる。

イラン南部ミナブでも、子どもたちが犠牲になった。APは、2026年2月28日にミナブの小学校が米国のミサイル攻撃を受け、Airwarsが157人の死者、うち123人の子どもの身元を確認したと報じている。APはまた、米政府が最終的な説明を公表しておらず、遺族が十分な説明を得られないまま残されているとも伝えている。Amnesty Internationalも、この攻撃を「学校が大量殺害の現場になった」として、米当局に責任追及と調査結果の公表を求めている。

ガザで死ぬ子ども、ミナブで死ぬ子ども、広島や長崎で死んだ市民、空襲で焼かれた人々、ホロコーストで殺された人々、戦場に送られた兵士、植民地支配の下で奪われた人々。彼らは、国家の大きな物語の中で「犠牲者」として数えられる。しかし、一人ひとりは数ではない。親がいて、友人がいて、言葉があり、好きな食べ物があり、怖いものがあり、生きたかった未来があった。戦争は、その個人の顔を消すことで進んでいく。「敵国」「報復」「安全保障」「正義」という言葉が大きくなるほど、人の顔は見えなくなる。

だから、終戦の日に必要なのは、どの国が一番悪かったかを競うことではない。日本の責任を消すことでも、他国の責任を見逃すことでもない。どの国にも、それぞれ問われるべき責任がある。その一方で、現在の市民を国家の行為と同一視してはならない。日本政府を批判することと、日本人全体を憎むことは違う。アメリカの軍事行動を批判することと、アメリカの普通の人々を敵視することは違う。イスラエル政府の行動を批判することと、ユダヤ人全体を憎むことは違う。ロシア政府を批判することと、ロシア人全体を憎むことは違う。この区別を失ったとき、正義の言葉は簡単に暴力の言葉へ変わる。

戦争の記憶を引き継ぐとは、特定の国民を永遠に責め続けることではない。むしろ、どの国の権力も、いざとなれば国民を「正義」「防衛」「報復」「国益」の名で動員しうるのだと知ることである。自国の政府が語る正義を、そのまま信じないこと。相手国の市民を、政府と同じものとして見ないこと。被害の記憶を、次の憎悪の材料にしないこと。それが、戦争を本当に記憶するということではないか。

終戦の日に、私たちは二つのことを同時に守らなければならない。過去の責任を曖昧にしないこと。そして、現在の普通の人々を国家と混同しないこと。日本の過去を忘れてはならない。だが、アメリカの原爆投下も、ナチスの犯罪も、現在進行形でガザやミナブの市民が殺されている現実も、同じように見なければならない。戦争は、どこか一つの国だけの病ではない。人間社会が、国家や権力や利害に個人の命を従属させてしまうとき、何度でも繰り返される構造である。

平和は、弱い理想ではない。怒りや恐怖や報復感情を、知性によって制御するための成熟である。相手国を憎む方が簡単だ。大きな主語で語る方が楽だ。「あの国は」「あの民族は」「あの人たちは」と言えば、考える手間は減る。しかし、その瞬間に、私たちはまた戦争の言葉に近づいていく。平和を守るとは、曖昧に仲良くすることではない。責任を正確に分け、批判すべき対象を間違えず、普通の人々の命を国家の都合に差し出させないことである。

8月15日は、日本にとって終戦の日である。だが、それは日本だけが反省する日でも、日本だけが被害を語る日でもない。世界中で、戦争を望まない人々が、国家の決定によって傷つき、殺され、沈黙させられている。その現実を見ずに、平和は語れない。「日本」とは誰か。「中国」とは誰か。「アメリカ」とは誰か。「ロシア」とは誰か。その大きすぎる主語の中で、普通の人々の命と意思が消されていないか。終戦の日に考えるべきことは、そこにある。

資料(出典)

  • 厚生労働省「全国戦没者追悼式の開催(8/15(土))」:2026年8月15日の全国戦没者追悼式の趣旨、参列予定者、式次第について。
  • Reuters “Japan defence minister visits contentious Yasukuni Shrine to war dead”:2026年8月15日の小泉進次郎防衛相の靖国参拝、高市早苗首相の供物、靖国神社をめぐる外交上の文脈について。
  • Reuters “Israeli strikes in Gaza kill two people, first fatalities in more than a week, medics say”:2026年8月13日のガザ空爆、停戦後の死者数、民間人被害に関する報道。
  • Associated Press “As the Pentagon stays quiet, AP reconstructs a US strike that killed over 100 Iranian children”:2026年2月28日のイラン・ミナブ小学校攻撃、Airwarsによる犠牲者確認、米政府説明の未公表について。
  • Amnesty International “USA/Iran: Those responsible for deadly and unlawful US strike on school that killed over 100 children must be held accountable”:ミナブの学校攻撃に関する人権団体の調査・声明。
  • 広島市「死者数」:1945年8月6日の原爆投下後、同年12月末までに約14万人が亡くなったとの推計、および多様な国籍の人々が被害に巻き込まれたことについて。
  • United States Holocaust Memorial Museum “Learn about the Holocaust”:ナチス政権と協力者によるホロコーストの概要について。