見えない血管が、ある日突然、社会のツケを請求する
便利すぎる社会が、あなたの血管を壊している
朝、駅へ急ぐ。昼はコンビニの弁当。夕方は缶コーヒー。夜は濃い味の外食、揚げ物、麺、丼、ファーストフード。深夜のコンビニはまぶしいほどに明るく、疲れた人間の目に、甘い飲み物と油の匂いと温められた弁当を差し出してくる。スマホを見ながらエナジードリンクを流し込み、ほとんど噛まずに食べて、お酒を飲んだり清涼飲料水を片手に間色、買いだめたお菓子やカップ麵をお腹いっぱい食べ、また明日のために眠る。忙しいから仕方がない。安いから仕方がない。疲れているから仕方がない。そうやって私たちは、毎日少しずつ、自分の血管に請求書をためている。
メタボリックシンドロームという言葉は、どこか軽く聞こえる。腹まわりが少し大きいとか、健康診断で注意されたとか、その程度の話にされがちだ。しかし本当は、これは見た目の問題ではない。日本の診断基準では、ウエスト周囲径、つまりおへその高さの腹囲が男性85cm以上、女性90cm以上で、さらに血圧・血糖・脂質の3項目のうち2つ以上が基準値から外れると、メタボリックシンドロームと診断される。つまり問題は「太って見えるかどうか」ではない。内臓脂肪を土台にして、血圧、血糖、脂質の異常が重なり、血管を傷つけていく状態なのである。[1]
怖いのは、途中までほとんど痛くないことだ。血管は黙っている。血糖値も、血圧も、中性脂肪も、最初は大きな音を立てない。だが、沈黙しているから安全なのではない。沈黙している間に進むから怖いのである。

心筋梗塞は、ある日突然やってくる
心筋梗塞は、生活習慣病の最も恐ろしい結末の一つだ。胸の真ん中が締めつけられる。重い石を乗せられたように苦しい。冷や汗が出る。息がしにくい。吐き気がする。「少し休めば治る」と思っているうちに、心臓の筋肉へ血液を送る冠動脈が詰まり、心筋が壊死していく。
国立循環器病研究センターは、急性心筋梗塞について、代表的な症状として突然の締め付けられるような強い胸痛や胸部圧迫感を挙げ、症状が治らない場合には救急車を要請する必要があると説明している。つまり、これは「様子を見る病気」ではない。時間そのものが心筋の命を削っていく病気である。[2]
医学は進歩した。カテーテル治療も、冠動脈バイパス手術もある。救える命は増えた。しかし、助かったから終わりではない。治療には高額な医療資源が使われる。心筋梗塞のカテーテル治療や手術は高額になることがあり、実際の自己負担は保険制度や高額療養費制度によって抑えられるとしても、治療そのものが重い医療であることに変わりはない。[3]
心筋梗塞は、命の危機である。同時に、家計の危機でもある。そして、その背景には、何年も積み重なった食事、運動不足、喫煙、睡眠不足、ストレス、血圧、血糖、脂質の問題がある。
糖尿病は「甘い病気」ではない
糖尿病もまた、軽く見てはいけない。糖尿病は、血糖値が高いだけの病気ではない。血管の病気であり、神経の病気であり、目と腎臓を傷つける病気でもある。
国立国際医療研究センター病院は、糖尿病には網膜症、腎症、神経障害という特徴的な合併症があり、さらに動脈硬化が進みやすく、心筋梗塞や脳卒中が起こりやすい病気でもあると説明している。糖尿病情報センターも、糖尿病の慢性合併症として、神経障害、網膜症、腎症などの細小血管症、そして心筋梗塞、脳梗塞、末梢動脈疾患、足病変などの大血管症を挙げている。[4][5]
治療が進めば、インスリン注射が必要になる人もいる。もちろん、糖尿病の人すべてが毎日4回インスリンを打つわけではない。病型や状態によって治療は異なる。しかし、インスリン治療が生活に入ってくると、食事、運動、血糖測定、注射のタイミングが日常そのものを変える。糖尿病情報センターは、基礎インスリンや食事ごとの追加インスリンなど、インスリン製剤が血糖管理に使われることを説明している。[6]
さらに腎臓が悪くなれば、透析が現実になる。糖尿病腎症が進行して末期腎不全に至ると、腎臓の機能を代行する透析療法が必要になる。透析は命を支える治療である一方、時間、身体、生活、医療費のすべてに重く関わる。[7]
目にも、腎臓にも、足にも出る
糖尿病の怖さは、血糖値という数字だけでは終わらないところにある。目に出る。腎臓に出る。神経に出る。足に出る。血管が細い場所、血流が弱い場所、回復しにくい場所から、生活の質が削られていく。
糖尿病網膜症は、視力低下や失明につながることがある。米国国立眼研究所は、糖尿病の人は糖尿病網膜症だけでなく、糖尿病黄斑浮腫、白内障、緑内障のリスクも高いと説明している。[8] 視界がぼやける。見えにくくなる。細かい文字が読めない。運転が不安になる。仕事にも生活にも影響する。これは単なる「病名」ではない。毎日の自由が少しずつ奪われるという現実である。
そして腎臓が壊れれば、透析が待っている。週に何度も病院へ通い、長時間を治療に使う生活になることがある。食事制限、水分制限、体調管理。ここまで来て初めて「もっと早く気をつけておけばよかった」と思う人もいる。だが、血管と腎臓は、その後悔を待ってはくれない。
ファーストフード社会と、濃い味の罠
ここで問題にしたいのは、個人の意志だけではない。現代社会そのものが、血管を壊す方向に設計されているのではないか、ということだ。
グローバル企業が売るファーストフード。コンビニ食。清涼飲料。菓子。加工食品。安い。早い。味が濃い。保存がきく。広告がうまい。疲れた人間の脳に刺さる。忙しい人ほど、それを選ばされる。孤独な人ほど、それで満たされる。時間のない人ほど、調理を奪われる。
WHOは、加工食品の生産増加、急速な都市化、生活様式の変化によって食生活が変わり、人々がエネルギー、脂肪、遊離糖、塩分・ナトリウムの多い食品をより多く摂るようになったと説明している。また、超加工食品については、摂取量の多さが心血管代謝系の健康問題など複数の健康アウトカムと関連するというレビューもある。[9][10]
ただし、ここで雑に「添加物だけが悪い」と言ってはいけない。問題は、添加物ひとつではなく、高塩分、高糖質、高脂質、高カロリー、低繊維、座りっぱなし、睡眠不足、ストレス過多を標準設定にしてしまった社会構造である。濃い味を売り、時間を奪い、睡眠を削り、歩く場所を減らし、孤独な夜に超加工食品を差し出す社会の設計である。
健診の数字は、社会の成績表でもあること
厚生労働省の令和6年国民健康・栄養調査では、糖尿病が強く疑われる人は約1,100万人、糖尿病の可能性を否定できない人は約700万人と推計されている。食塩摂取量の平均値は9.6gで、健康日本21の目標値である7gより高い。現在習慣的に喫煙している人の割合は14.8%である。[11]
令和6年人口動態統計では、心疾患、高血圧性を除く、による死亡数は22万6388人で、死因順位は第2位である。[12] これは単なる統計ではない。私たちの食事、働き方、睡眠、運動、孤独、ストレス、広告、都市設計、食品産業の結果が、血管と心臓に刻まれているということだ。
健康診断の紙に並ぶ数字は、個人の成績表であると同時に、社会の成績表でもある。血圧。血糖。中性脂肪。LDLコレステロール。HbA1c。体重。腹囲。それらは、私たちがどんな社会で食べ、働き、眠り、移動し、疲れを処理しているかの記録でもある。
「自己責任」で片づけるな!
もちろん、食べるものを選ぶのは個人である。歩くかどうかを決めるのも個人である。禁煙するかどうか、健診を受けるかどうか、薬を飲むかどうかも個人の選択に見える。
しかし、本当にそれだけだろうか。長時間労働で料理をする気力がない。安い食事ほど炭水化物と脂質に偏る。駅前にはファーストフードが並ぶ。広告は甘い飲み物を「ご褒美」と呼ぶ。ストレスは食欲を乱す。睡眠不足は代謝を乱す。歩く時間は奪われる。孤独は食事を雑にする。
この構造を無視して、「太ったあなたが悪い」「血糖値が高いあなたが悪い」「塩分を減らせなかったあなたが悪い」とだけ言うのは、あまりに浅い。メタボリックシンドロームは腹に出る前に、社会に出ている。 個人の腹まわりを責める前に、社会の内臓脂肪を見なければならない。
地味な生活こそ、最強の抵抗であるワケ
本当に長生きしたいなら、奇跡のサプリではない。高額な健康法でもない。もっと地味なことだ。歩く。塩分を減らす。甘い飲み物を減らす。野菜とたんぱく質をちゃんと食べる。煙草をやめる。眠る。健診の数字を見て、放置しない。胸が苦しい時は我慢しない。糖尿病を「まだ大丈夫」と思わない。
地味すぎて、誰も広告にしない。だからこそ、強い。グローバル企業は、あなたの血管の責任を取らない。広告は、あなたの透析には付き添わない。濃い味の快楽は、心筋梗塞の夜に救急車を呼んではくれない。
血管は沈黙している。しかし、沈黙しているものほど、壊れた時の声は大きい。
The メタボリックシンドローム。それは、腹ではなく、社会の奥に溜まった脂肪である。そして、そのツケはある日突然、胸の痛みとして、透析の針として、見えにくくなった視界として、私たちの前に現れる。
見えない血管に溜まり続ける請求書。だが、それは本来、私たちが命を削ってまで払うべきものだろうか。利益や効率を優先し、人間の健康を後回しにしてきた社会構造のツケを、なぜ個人の血管が引き受けなければならないのか。
その不当な請求に対して、「支払いを拒否する」こと。 それこそが、塩分を減らし、歩き、眠るという地味な生活の実態である。ファーストフードの罠を避け、自分の体を守り抜く。それは健康法などという生ぬるいものではない。現代社会の狂った搾取構造に対する、明確な「ノー」の意思表示である。
社会が変わるのを待っていても、血管は待ってくれない。だからこそ、自分の意志で歩き、粗食を選び、眠ることは、単なる自己管理ではない。それは、自分の命を削りにくる社会システムへの、最も静かで、最も強い防衛であり抵抗なのだ。
小西寛子
根拠資料
[1] 厚生労働省 e-ヘルスネット「メタボリックシンドロームの診断基準」
[2] 国立循環器病研究センター「急性心筋梗塞」
[3] 厚生労働省「高額療養費制度」および心筋梗塞治療費に関する医療機関解説
[4] 国立国際医療研究センター病院「糖尿病・内分泌代謝科 診療のご案内」
[5] 糖尿病情報センター「糖尿病の合併症」
[6] 糖尿病情報センター「血糖値を下げる注射薬」
[7] 糖尿病情報センター「腎症」
[8] National Eye Institute, “Diabetic Eye Disease Resources”
[9] World Health Organization, “Healthy diet”
[10] The BMJ, “Ultra-processed food exposure and adverse health outcomes: umbrella review of epidemiological meta-analyses”
[11] 厚生労働省「令和6年 国民健康・栄養調査 結果の概要」
[12] 厚生労働省「令和6年 人口動態統計」

