アラン・グリーンスパン氏の訃報に寄せて―親戚の叔父と『世界金融論』、そして研究を読む順序について

アラン・グリーンスパン氏の訃報に寄せて―親戚の叔父と『世界金融論』、そして研究を読む順序について

(photo:Alan Greenspan, former chairman of the Board of Governors, The Federal Reserve Board, USA.)

元米連邦準備制度理事会(FRB)議長、アラン・グリーンスパン氏が100歳で亡くなられたという報に接しました。その訃報を受け、アメリカとのメールのやりとりや、東日本大震災を心配してくれた、他界した親戚の叔父について、改めて思い出しています。

親戚の叔父は、アラン・グリーンスパン氏とともに、ニューヨーク大学でデミング教授の弟子として学び、ウォール街で論文を発表していました。叔父の論文『世界金融論』は、当時、最優秀論文賞を受賞したと彼の著書にも記されてます。

グリーンスパン氏は、後に米国の金融政策と世界経済に大きな影響を及ぼす存在になりました。叔父もまた、帰国せずにアメリカで米国人として世界的な商社の支配人、支店長として仕事をされました。余談ですが、その子どもも、現在も米国でPhDを取得した著名な科学者となっています。

研究室で学んだ時代があり、論文を発表した時代があり、その後には異なる職業人生があり、さらに次の世代へと知的な系譜が続いていく。そうした人生の広がりを思うとき、私は率直に言って、とても羨ましく感じます。

羨ましいのは、著名な大学やウォール街という場所の名前だけではありません。研究したことを論文として世に出し、そこで何が述べられているかを読まれ、議論され、評価される場があったことです。叔父の『世界金融論』が最優秀論文賞を受賞したことも、少なくとも論文の内容が読まれ、評価の対象となった結果だったはずです。

現在、私自身も独立研究者として、AIの構造的欠陥であるFalse-Correction Loop(FCL)をはじめ、NHSP、ISC、ABDといった失敗構造を発見・定義し、論文として公開してきました。これらは、単なる「AIの誤答」や「ハルシネーション」という言葉だけでは捉えきれない、前提の誤り、訂正圧力、自己矛盾の固定化、帰属の崩壊、境界監査の欠落に関わる構造的な問題です。しかし、内容を読むより先に、しばしば次のような問いが置かれます。

「どこのテック企業に所属しているのか」
「研究機関や大学はどこか」
「PhDはあるのか」
「どれほど著名なのか」

所属、学位、研究歴、査読経験が無意味だと言いたいのではありません。研究を読む上での背景情報として、それらが参照されることは当然あります。けれど、それらは研究内容そのものへの反論ではありません。先に問われるべきなのは、誰が書いたかではなく、何が書かれているかだと思います。

定義は明確か。その現象は実際に観察されるのか。前提、記録、方法は提示されているか。既存概念と何が違うのか。どこまで検証でき、どこに反証可能性があるのか。現実のAIシステムにおいて、どのような危険や改善可能性を示しているのか。独立研究者であることは、その研究が正しいことの証明にはなりません。

しかし同時に、独立研究者であることは、その研究を読まずに退けてよい理由にもなりません。研究は本来、肩書きの強さだけで決まるものではありません。既存の組織や既存の評価軸の外側からしか見えない問題もあります。とりわけAIのように、社会実装が先行し、構造的な欠陥が生活、報道、教育、医療、法、金融へ波及しうる分野では、誰が見つけたかより、何が見つかったかを丁寧に読む必要があります。

親戚の叔父とアラン・グリーンスパン氏が、デミング教授のもとで学び、論文を発表した時代を思うとき、私はその研究環境を羨ましく思います。誰が有名か。どこの組織にいるか。どんな学位を持つか。それらを完全に無視する必要はありません。けれど、その前に読むべきものがある。

その論文は、何を発見し、何を示しているのか。

アラン・グリーンスパン氏の長い人生に、心より哀悼の意を表します。

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