令和8年8月19日午前9時30分、東京都青梅市役所内にある青梅市教育委員会で、青梅市立第七中学校の吹奏楽部顧問だった音楽教諭による指導をめぐり、被害生徒A君と保護者に対する報告、そして同音楽教諭と校長からの謝罪が行われた。

(*本記事は公共性のため学校名は表示する)青梅市立第七中学校は、青梅市成木地区にある小規模特認校である。青梅市は同校について、学区域の生徒減少を背景に、市内全域から入学を認める小規模特別認定校制度を平成24年度から開始したと説明している。学校は「成木の森」「ホタル」「少人数教育」などを特色として掲げる学校だ。
だが、その美しい学校案内の裏で起きていたのは、音楽教諭による恫喝的指導、本人の意思に反する謝罪、校長による被害救済SOS掲示板書き込み削除、学年主任による虚偽情報の拡散、そして学校全体でA君を追い込んでいくような構造だった。
教育委員会が認めた「恐怖」「圧力」「屈辱」「意思に反する謝罪」
この日、教育委員会が示した回答書は、青教指第268号、令和8年8月19日付、「青梅市立第七中学校吹奏楽部顧問教諭の指導について(回答)」である。−−書面は、音楽教諭の指導について、地方公務員法上の懲戒処分を科すべき不適切指導には該当しないとした。
しかし、ここで重要なのは、懲戒処分までには当たらないという行政内部の結論ではない。回答書が、A君に起きた事実の核心部分を認めていることである。
回答書は、”音楽教諭が「誤解にもとづき」、A君に対して、A君が怖いと感じたり、圧力を感じたりするような態様で、A君の行動を咎めるような指導をしたことを認めている。さらに、他の吹奏楽部員の前で、A君が屈辱と感じるような言動を行ったこと、A君が他の吹奏楽部員に謝罪しなければならないと思わせるような指導をし、その結果、A君が意思に反して謝罪した” ことまで認めている。
つまり、この行政文書(教育委員会が示した回答書、青教指第268号)はこう書いているのである。A君は怖かった。A君は圧力を感じた。A君は屈辱を受けた。A君は謝罪しなければならないと思わされた。そして、A君は意思に反して謝罪した。
これを一般社会の言葉で何というのか。——いじめである。強要である。強迫的な指導である。少なくとも、成人公務員である教員が未成年の生徒に対して行った、極めて悪質な生徒虐待である。
「懲戒ではない」は、免罪符ではない
教育委員会は、地方公務員法上の懲戒処分を科すべき不適切指導には該当しないとした。しかし、その場でA君の代理人でもある保護者とA君は、教育委員会と同席した教師らに対し、こう確認した。
保護者は、”行政上の「懲戒に当たらない」という言葉は、社会的に問題がないという意味ではない。学校教育法上、あるいは教育行政上の内部判断として「懲戒処分相当ではない」と整理したにすぎない。だが、一般社会の認識では、怖がらせ、圧力をかけ、屈辱を与え、本人の意思に反する謝罪をさせる行為は、「いじめ」「強要」「強迫」「生徒虐待」と呼ばれるものである。”と確認。
それに対し、保護者だけで無く、筆者もはじめて理解した重要な担当者からの発言がある。教育委員会の説明は、行政の用語上、「いじめ」は主に生徒同士を想定しており、先生から生徒への行為については、いじめという言葉が制度上そのまま当てはめられにくいという構造も明らかになった。
だからこそ、言葉をすり替えてはならない。「懲戒処分ではない」から「問題は小さい」のではない。「いじめ」と書かれていないから「いじめではない」のでもない。
むしろ、先生から生徒へのいじめが、行政用語の隙間で「不適切指導」と薄められてしまうことこそ、本件の本質である。
青梅市は、いじめ防止マニュアルを公表し、「いじめの根絶に向けて」と掲げている。だが、マニュアルがあっても、教師から生徒への圧力や屈辱が「いじめ」という言葉で正面から扱われないなら、子どもは守られない。
いじめの認識の部分、音楽教師は本当なら「やめるか、やめないか」の確認で済んだ
一度事件を振り返るが、本件の発端は、A君が吹奏楽部を退部し、外部の吹奏楽団で音楽を続けようとしたことである。そして、教育委員会の聞き取りや、同席上で保護者が確認した本人の発言でもわかるとおり、音楽教諭は、A君が部活動をやめる可能性を理解していた。そうであれば、必要だったのは「やめるのか、やめないのか」「新年度の活動をどうするのか」という確認だけだった。
つまり、一言で済んだ話である。ところが音楽教諭は、A君を個室に呼び、著しく長い時間をかけてA君を詰問し、繰り返し恫喝的に責めた。その後、音楽室に移動し、他の生徒の前でA君を辱め、大声であざ笑うなどした上で謝罪をさせた。

A君は、謝る必要のないことで謝罪させられた。しかも、教育委員会の回答書は、A君が意思に反して謝罪したことを認めている。
これを「不適切」という言葉だけで片づけることはできない。学校の中では「指導」と呼ばれたかもしれない。しかし、社会一般の感覚では、これは教員による生徒へのいじめであり、強要であり、強迫、虐待である。
校長は、被害救済SOS書き込みを消した理由を「掲示板ルール」と言った
この日の場では、同席した校長に対して、A君の(自らの社会的信用の維持の為の防御行為)SOS投稿を削除した理由も問われたが、校長は、自信を持って「掲示板ルール」だと述べた。
だが、A君のClassroom投稿は、単なる悪口や雑談ではない。A君が言ってもいない「死ね」「ウザい」といった言葉を、あたかもA君が言ったかのように扱われたことへの反論であり、潔白を示すための事実告知、SOSだった。
A君は、むしろ自分が「死ね」「ウザい」と言われた側である。それにもかかわらず、(前回記事にも登場した、A君の入学と同時に諸島から赴任してきた社会科教諭)学年主任は「A君がこういうことを言わなかったか」と他の生徒に個別に聞き回り、A君が言っていたかのような方向へ仕向けた。さらに、別な件では、「A君が盗聴器を見せびらかした」などという事実無根の名誉毀損的な話も広がった。
A君はそれに対し、全校に向けて「僕が死ね、ウザいと言われたのに、僕のせいにされた。こういう言葉づかいはやめよう」という趣旨の書き込みをした。これは、自分の潔白を示し、学校内で起きている危険な空気を正すための正当なSOS書き込みである。
校長が消したSOS文面は上記と同様の主旨である。この前例があるにも関わらず、校長は、自らの立場に不都合な投稿のみを削除した。しかも、この日の場で保護者がその件を問うても、”校長には反省の色が見えなかった。にやけて笑うような態度も確認された”という。謝罪の場でありながら、なぜSOSを消したのかという核心を問われても、まともな説明はなかった。
この学校でいじめが止まらない理由は、ここにある。責任者である校長が、子どものSOSを学校管理の都合で処理し、保護者からの問いにも真剣に向き合わない。わかっていないのは、その場で校長だけだったのかもしれない。
「この学校では健全な学校生活を送れない」
あろうことか被害者はA君でありながら、校長を含む教師、それらを鵜呑みにした生徒らによって、A君はいまも、学校内で集団いじめ(無視されている)に等しい状態に置かれている。
A君を追い詰めたのは、音楽教諭だけではない。社会科担当の学年主任による虚偽情報の拡散、A君を避ける生徒側が保護され、A君だけが学校内で問題視される構造が作られていった。保護者らからA君の親に寄せられた報告からも、A君が集団いじめに追い込まれていることは明らかである。そして、A君本人不在で、事実ではない内容を含む前回の教育委員会の報告書を教育委員会に上げたのも責任の長である学校長である。
校長を退席させ、教育委員会および同席した弁護士は、保護者及びA君と今後のことについて話し合いが行われた。——結論として、この学校では、どう見てもA君が今後安全に学校生活を送ることはできない。教育委員会、弁護士、保護者の間では、教育的配慮として、A君は転校した方がよいという方向で意見が一致し始めた。
これは、極めて重い。被害を受けた子どもが、なぜ学校を去らなければならないのか。謝罪をさせた教師は残る。SOSを消した校長も残る。虚偽情報を広げた学年主任も残る。しかし、被害を受けたA君が転校を考えなければならない。これが、青梅市立第七中学校で起きている現実である。
小規模特認校は、何のためにあるのか
青梅市立第七中学校は、小規模特認校である。本来、小規模で教育を行うなら、少人数だからこそ一人一人の能力を見抜き、学力を伸ばし、個性を生かし、スキルを伸ばす教育ができるはずである。
しかし、この学校はどこか大きくズレている。取材を進めると、良い先生は辞めていっているそうだ。A君に「ウザい、○ね」といった女子生徒に配慮して、A君を加害者に仕向けた社会科の学年主任のような教師ばかりだという声も聞こえてくる。そして校長も、客観的な事実より主観的な言動が目立つ。
小規模特認校は、自由が特色だという。しかし、自由とは、校長や一部教師の主観で生徒を扱う自由ではない。地元生徒や教員に都合のよい空気を守るために、外部から来た生徒を孤立させる自由でもない。自由を掲げる学校ほど、その中で弱い立場に置かれた子どもを守る責任がある。A君のような生徒を守れない小規模特認校に、何の意味があるのか。
「部でビリ」と言われたA君は、都大会を目指す予選でレギュラーで金賞
ここで、どうしても書いておかなければならないことがある。——音楽教諭は、A君に対して、外部の吹奏楽クラブチームに入ってもレギュラーメンバーになれないかもしれない、A君は他の部員の前で「この部でビリだ!」という趣旨の発言をした。
しかし、現実は逆だった。A君は昨今、ピアノとトロンボーンで、都大会に進むべく予選に出場し、強豪とともに金賞となった。——この報告に対し、教育委員会と担当弁護士は祝ってくれたそうだが、校長と音楽教諭からは一言もなかったという。A君を「ビリ」と言った教師。A君のSOSを消した校長。A君が音楽で結果を出しても、祝う言葉一つ出ない学校。
これが教育なのか。子どもが伸びる場所に進もうとしたとき、教師がそれを潰す。子どもが外で結果を出しても、学校は祝わない。これほど教育者として情けない姿があるだろうか。子どもの人生は、教師の面子のためにあるのではない。
青梅市は、今度こそ子どもの言葉を聞けるのか
青梅市は過去にも、いじめ重大事態を経験している。市内中学校で2019年に起きたいじめについて、青梅市教育委員会は2021年3月に重大事態と認定したが、公表まで3年以上かかったと報じられている。報道では、当時中学1年生だった男子生徒が、シャープペンシルで背中を刺される、体型を揶揄されるなどのいじめを受けたとされる。
市はその後、いじめ防止マニュアルを掲げた。教育委員会の会議録にも、市内で発生したいじめ重大事態や、いじめ問題対策委員会に関する議題が繰り返し現れる。
だが、今回のA君の件を見る限り、学校現場は何を学んだのかという疑問が残るが、今回ようやくA君と保護者に対して、音楽教諭の指導について謝罪の場を設けた。そこまで進んだこと自体は新たな一歩である。
しかし、本当の問題はここからだ。校長の責任をどうするのか。音楽教諭の行為を「不適切指導」という言葉で終わらせるのか。学年主任による虚偽情報拡散と名誉毀損的扱いを放置するのか。A君を転校させて終わりにするのか。それとも、学校そのものを変えるのか。青梅市は、子どものSOSをどう扱うのか。そしてこれらの根本的な検証が必要である。
小規模特認校のような任意で選ぶ学校に、子どもを進学させようと考える保護者は、よく考えた方がいい。学校は、子どもの才能を伸ばす学校なのか。それとも、学校に都合の悪い声を消す学校なのか。
それは、なぜか?・・・・子どもの人生だからである。
編集部としては、この社会からいじめをなくすために今後も取材を続ける。
記事末尾注記
本稿は、保護者記録、教育委員会回答書原本、当日の説明内容(許可された音声、保護者提供の写真、一部加工)、保護者および関係者への取材、学校・教育委員会に関する公開資料に基づき構成している。教職員については、公務員としての職務上の行為および学校管理上の立場、責任に限定して記載した。生徒については未成年者保護のため匿名化している。青梅市、学校関係者、教育委員会、関係教職員から具体的資料を伴う反論、補足、訂正の申入れがあった場合は、内容を確認のうえ掲載する。
